自分の中のSNSの役割
Twitter卒業を思い立ってから、そろそろ10日ほど経つ。まだまだ移住後の暮らしは手探り。
なんとなくスマホを開いてタイムラインを眺めていた時間が、なんとなく手持ち無沙汰になった。意識してnoteを読み耽るのも楽しいけど、なんとなく物足りない。そうしてあらためて見つめ直してみると、自分にとってTwitterには、大きく3つの要素を求めていたとわかった。
情報収集
目の保養
友人との薄い交流
1. 情報収集
これはシンプル。
話題の情報はなにか。これだけ。
Twitterの場合、具体的な「最新ゲームの情報」とかだけではなく、自分とセンスが合う(と感じた)人を追っかける、という機能が重宝していた。この性質は、他の媒体だと補いにくい。
僕の場合は、インディゲームの情報や、地域の情報、不動産や投資運用の情報なんかもゆるっと集めていた。
とりあえず、この部分はnoteを漁って、探している段階。
2. 目の保養
要は画像を眺めること。
綺麗な絵だったり、おもしろ画像なんかもこれに含む。文字的な情報とは違う頭の使い方をする、気がする。少しエロ要素も含む。
この部分は、フォローしていた絵描きさんがfanboxをやっていたので、pixivをウォッチしてみる。不案内な分野なので、かなり手探り。
3. 友人との薄い交流
これは一番類似のサービスがあるにも関わらず、Twitterから代替の効かない部分だと感じている。一昔前ならmixiがあったし、facebookやInstagramもこれ系ではある。だけど、それぞれ空気感が違う上に、なにより相手が「友人」というのが厄介。1と2は同一人物でなくとも、類似の性質を持った人で代替可能だけど、「友人」とは相互に繋がりがあるので、代替困難。
LINEのような積極的な交流ではなく、facebookのようなアピール性もなく、ただ日常からこぼれ落ちたエッセンスが流れているだけのTL、これが名残惜しい。
一応mastodonには1とこの機能を求めてみているけど、友人をTwitterから引っ張り出せるほど、強気にはなれない。
noteだけではこの3つを全て補充することはできないと思っている。じゃあどうするか?求めている成分が得られる代替サービスを探すか、求めることを辞めるか。
もう少し自問自答が必要そうだ。