納豆メモリー。

夏休み。ただいま義実家に帰省中。

これまでは義父母のコロナ感染リスクを懸念して帰省を見送っていた。しかし未だコロナ収束の兆しが見えないまま、気付けば半年が過ぎた。これでは帰省出来るのは一年先か二年先か。

わたしは一年先になってもいい。会いたい気持ちだけを優先して帰省し、万が一にも高齢の義父母を感染させてしまっては後悔してもしきれない。

しかし義父母はどうか。わたしが当たり前に迎えられるであろう一年後の今日は、高齢な義父母にとっては決して当たり前ではない。残された時が違う。重みが違う。

だから改めて義父母の考えを確認した。答えは「会いに来てほしい」だった。半年前は「コロナが収束するまでは」と言っていた義父母も、感染リスクより娘や孫たちに会いたいという気持ちが勝ったようだ。

そういうわけで帰省中。ちなみに義実家は同じ地域にあるので、都道府県をまたいでの移動にはなっていない。仮にまたいでの移動になったとしても帰省していたが。

ただ、いつもなら義父母の家に我が家と義妹家族を合わせた総勢11人が集結するのだが、さすがにそれでは密に過ぎる。従って我が家と義妹家族は入れ替わりで別々に帰省する事にした。

寂しいが仕方がない。以前のように三家族が揃って食卓を囲める日はいつになるのか。甥たちが繰り広げる極めて不毛で無益な争いすら、今では少し懐かしく、そして微笑ましくすら思う。

甥A「おい、隣で納豆食うなよ」

甥B「何でだよ、いいじゃん」

甥A「俺が納豆嫌いなの知ってんだろ!」

甥B「どこで食おうと俺の勝手だろ!」

義妹「やめなよ。Bも席を移動すればいいじゃん。それで解決するんだから!」

甥B「何で俺が移動しなきゃならないんだよ! もういいよ食わないから!!」

箸をテーブルに叩きつけてダイニングを後にする甥B。一年ほど前、甥達が中学生の時のエピソードだ。

何だこのクズみたいなエピソードは。全然懐かしくも微笑ましくもない。

わたしはゆえあって甥や姪に教育じみたことはしない。だからその場では何も言わなかったが、わたしは甥Bを支持している。

食事時にダイニングテーブルで納豆を食べようとした甥Bに、いったい何の落ち度があるというのか。なぜ甥Bが労力を割いて席を移動しなければならない。納豆が嫌いなのは甥Aの勝手だ。動くなら甥Aが席を移動すればいい。

義妹も義妹だ。甥Bに席を移動させても根本的には何も解決しない。問題を先送りしたに過ぎない。

これから一生、納豆を食べる度に甥Aに気を使って席を移動しなければならないのか? 甥Aは自分では何もせず、納豆を食べる誰かが移動してくれるのを座って待つだけなのか? それで問題解決と言えるだろうか。

甥Aが就職して得意先と食事をしている時、隣で得意先の部長が納豆を食べだしたらどうする?

甥A「この野郎、ナニ俺の隣で納豆食ってんだよ! 違う席に移動しろよ。それがルールだろ!!」

部長「何だね君ぃ失敬な! 契約の話は白紙に戻させてもらおう!!」

次の日には退職願を書かされているぞ。

義妹よ。君の息子がこんなモンスターに育ってしまう前に忠告する。甥Aの納豆嫌いを克服させよとは言わない。ただ、納豆が嫌いだからといって納豆を食べている人に怒りをぶつけるのはやめさせた方がいい。

単純な話だ。納豆は食べ物だ。そして食べ物をダイニングテーブルに持ち込むのはごく自然な事であり、何ら罪になるものではない。別に甥Bが食卓に大便を持ち込んで食べようとしたわけではないのだ。そんな事をしたら甥Aがとやかく言う前にわたしが甥Bの頬を張る。そして甥Bの両肩をガッと掴み「よく聞くんだ。それはカレーじゃない。いいかもう一度言うぞ。それはカレーじゃないんだ。よーしオーケーいい子だ」と言う。必ず言う。

でもここまで書いたところで思った。食べ物というだけで匂いが強い物でも許されるのか? もしわたしの隣で誰かがクサヤを焼きだしたらどうする? それでもわたしは食べ物だからと割り切れるのか? その人がデザートにドリアンを切り始めたら? ちょっと食べたりないからと、シュールストレミングの缶を開けだしたら? それでも食べ物という事実が免罪符となり得るのか?

なり得ない。免罪符になどなるわけがない。もはや食べ物かどうかなどは論点ではない。臭い。臭いものは大便と同じだ。ゴメン言い過ぎた。でも臭いものは食卓に載せるな。納豆とか食ってんじゃねえ甥B。お前が動け。お前がダイニングテーブルの一番端で誰にも迷惑をかけずにひっそりと飯を頬張れ。

匂いが強いものを食べるのなら、周囲へのそれなりの配慮は必要だぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?