見出し画像

卒業式の思い出集

私は今大学2年生であり、これまでに幼稚園、小学校、中学校、そして高校の卒園・卒業を経験した。卒園式や卒業式は大変思い出深く、どれも鮮明に記憶している。卒業の時期に触発されてそれらの思い出を以下に羅列する。

◯幼稚園

母が用意してくれた小さな花飾りを左胸につけていったのだが、卒園生は全員同じ花飾りを用意されていたので、母のは外して先生が新しい飾りをつけてくれた。園で用意された飾りはたくさんお花が付いていて可愛らしかったのだが、せっかく母が用意してくれた飾りを外される瞬間は、寂しさを主にした複雑な感情があった。

卒園生の歌は2曲あり、1曲目は先生方の方を、2曲目は在園生と保護者の方を向いて歌った。1曲目を歌っているとき、副園長先生があまりにも優しく、なんとなく寂しさも携えたようなほほえみを私たち卒園生に向けてくれているのを見て泣きそうになってしまった。2曲目が始まる前にに振り向いたときにはその涙で滲んだ光景が広がっていた。

◯小学校

6年間通ったわけではない、小学校生活の半分弱しか通っていない「2個目の小学校」だったが、4,5年生のときには送る側だったのがとうとう送られる側になったのか、と不思議な気持ちになっていた記憶がある。6年間通っていたらどんなに感慨深かっただろう。

前年までに比べて、卒業生の歌の前のメッセージ部分が長くなった。私は卒業生の歌でピアノ伴奏をするために、並んでいた列を離れてピアノの前に着席した。同級生の皆が各方面に感謝の言葉とお辞儀を繰り返す(これが前年から追加されたものであり、その分長くなった)のをよそに1人佇んでいた。

なんとか本番を終え、安堵して卒業生の列に戻ると隣の子が泣いていた(しくしく、は超えていたように思う)。やはり歌は涙を誘うのだろう。私も、最後に校歌を歌っているときは先生方の表情や「これで最後」という気持ちに胸がいっぱいにはり涙を浮かべていた。

入退場時、体育館の出入り口のすぐ側にある音楽室を見てなんとなく寂しい気持ちになった。教室上部の窓から微かに見える肖像画を見ようとなぜか必死になっていた気がする。

◯中学校

このときも卒業生の歌でピアノ伴奏をした。在校生からのメッセージと歌が終わるとすぐにピアノに移動し、その場で答辞が終わるのを待った。ところがその答辞がなんと約20分にも及んだため私の緊張タイムは長引いた。

在校生からの歌でピアノ伴奏を務めたのは、私が所属した吹奏楽部で同じパートだった後輩で、とても感慨深かった。トロンボーンパート同士で式のピアノ伴奏をリレーする形となったのだ。その事実には今でも胸が熱くなる。

私の伴奏の際に譜めくりとして横にいてくれたのは部活動の顧問の先生だった。その先生とは言い争うことが多くあまり良い思い出はなかったのだが、伴奏者として関わるときは優しく接してくれていた。その日の私はミスをしまいと余裕を失い、指揮者を見ることもできなかったのだが、隣で歌を口ずさんでくれたおかげでテンポを崩すことなく、そして何より安心してピアノを弾ききることができた。あのときの心が温まりホッとした感覚は忘れることができない。

卒業生の歌は「群青」。歌のメロディーもピアノ伴奏も素敵で、そして歌詞が大変感動的であった。東日本大震災で被災した中学生たちと音楽の先生が作詞作曲した歌で、24時間テレビでそのドキュメンタリーがあったので存在は知っていた。その映像に感動させられた数ヶ月後、まさか自分たちが卒業式で群青を歌うことになるとは思わなかった。候補曲に群青を見つけたときには喜び、群青に投票し、見事歌えることに決まってとても嬉しかった。群青の背景にある中学生たちと自分の代の卒業生は少し境遇が重なる部分があり、それもあってこの歌は自分たちにふさわしいと思った。この歌のピアノ伴奏が本当に好きで、今までに自分が弾いた伴奏のトップ2には入る。元々好きだった歌に思い入れが加わりもっと好きになっていった。本番は皆の歌を聴けるような余裕は全くなかったが、群青で卒業できて幸せだった。

退場時に吹奏楽部が「さくらのうた」を演奏していた。私が中学1年生のときにも退場でその曲を演奏し、自分のパートはそんなに楽しくなかったのだが、曲自体は聴けば聴くほど好きになっていった。クライマックスは涙が出そうになるような感情でいっぱいになる曲だ。そのこともあり、元吹奏楽部の同級生たちと「退場がさくらのうただったら嬉しいね〜」なんて話していたものだ。それが現実になったときはとても嬉しかったが、私は2組で退場が早かったので、一番好きなクライマックスを聴くことができず寂しさもあった。しかし、後輩たちのさくらのうたで退場できてよかった。会場を出て、明るい日の光が射す廊下でふわっとしたような気持ちになった。この感覚は卒業式あるあるだと思う。

式の途中は涙は出なかったが、教室に戻ってから、大好きな担任の先生との別れに耐えられないほど悲しくなりボロボロ泣いた。あの先生の存在がなかったら私はどうなってしまっていたのだろう。友人たちとは(始めたばかりの)LINEでいつでも話せるな、という余裕があったが、先生方とはもう会えなくなってしまう。その喪失感が大きかった。その担任の先生に「あなたの伴奏が始まった瞬間涙が出そうになった」と言われて、先生のために、と思って弾いた伴奏が届いていたのだと嬉しくなった。

◯高校

高校時代はそれまでとは全く比べ物にならないほど苦しくつらかった。何倍、とかではなく、比較対象にすることすらできないほどかけ離れた別物のようであった。その分、高校の卒業は開放感でいっぱいだったが、長く苦しんだからこそ抱く愛着や、苦しみの中でも心を弾ませ慰めた溢れんばかりの楽しい思い出が、大いに私を寂しくさせた。

歴史ある高校らしい、厳粛な雰囲気で式は進行された。入場のときにステージ上部の校章を見つめ、式典の装いの体育館を見渡した。自分がその高校を卒業することの誇りで胸を膨らませた。卒業証書授与は高校としては珍しく校長先生から生徒1人1人に手渡しされる。その際に握手もするのが我が母校の伝統とのことだ。2年間在校生として見ていた一連の流れだが、とうとう自分が当事者になることに感慨深さを覚えた。1,2年生のときは「こんなつらい高校生活を3年間も送ったのか、すごいなあ」と思いながら眺めていたが、自分がその「すごいなあ」になったのだから、やはり自信と清々しさがあった。

退場の直前、担任の先生が私たちを立たせた。それに促されて起立したその瞬間に先生が涙を浮かべ、それにつられて私も泣きそうになった。これでもか、というほど感情が大きく動かされた。みんなも泣きそうになっているな、と思っていたが、式の後に話した友人たちもやはりそのときにグッときたらしい。悩み抜いた3年間の最後は晴れ晴れとした気持ちも強かったが、同じくらい寂しさもあった。


さまざまな思い出話を友人たちとしていて気づかされたのだが、私は昔のことを多く鮮明に覚えている方らしい。卒業式の思い出をちょっと書いてみようかな、と思ってつらつら指を走らせたが、はっきり覚えていて簡単に文章にできた部分もあれば、なんとなくぼんやりした感情などを言語化することで具体的になったり、頭になかったことでも改めて思い返すことで浮かんできたりした部分もあった。特に後者に関して、私にとって意義のある振り返りになったと思う。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?