5月に思うこと

ボロボロになった腕を見つめる時間が増える季節が近づいています。過去から逃れることはできないのだと毎年強く実感させられます。

夏は嫌いです。暑いし、虫が多いし、汗をかくし、電気代は高くなるし、日焼けするし、夏が嫌いです。

海は好きです。幼い頃、よく父とサーフィンをしていました。サンオイルを塗って、黒ギャルを目指しているような小学生でした。もう海に入ることはなくなってしまったけれど、海を見ると父と私だけの2人の思い出が蘇ります。

嫌いばかり考えないで、嫌いばかり見つけないで、好きを見つけ、好きなことを考えていたいです。嫌いを考えてストレスが溜まり、怒りへと変わるエネルギーは勿体無いです。好きを考えて幸せな気持ちになり、自然と笑顔になるような幸福な人生を歩みたいです。そのような人生を歩むためには、私が私を大切にする必要があります。

私は、ヒトを大切にするということがあまりピンとこないです。モノは、落としたり傷つけたりせずに、大切に保管して、長く使用していたら大切にしていると自他共に認められるでしょう。ヒトは、自分は傷つけてないと思っても相手はどうかわからないです。知らないうちに擦り傷をたくさん作ってしまい、跡になっているかもしれません。

私は、小学生の頃からKY(空気読めない)と言われてきました。空気が読めるように顔色をうかがい、言動に気をつけていたのですが、それは他者からしたらあくまで気をつけている"つもり"程度のことでした。中学生になっても高校生になっても集団に馴染むことが苦手でした。小学生から成長した点は、周りの反応やなんとなくの雰囲気から、自分が空気が読めない言動をしたということを察知できるようになりました。

もっと大切にして欲しいと恋人から言われたことがあります。私は大切にしていました。しかし、それもまた、"つもり"だったのです。大切にしているつもりでは意味がないのです。大切にしなければならないのに、相手が大切にされているなあと自信を持って言えるくらい大切にしなければならないのに、どうしてできないのでしょうか。

私も大切にされてみたいです。私が誰かから大切にされたら、どのような対応をしたらヒトを大切にしてると言えるのか理解できるはずです。毎晩抱きしめて愛してると囁いても、それは大切にしてると言えないのです。もっと、他の方法で大切を味わせることが本当の大切なのだと推測しています。

しかし、このように、私も、私だって、と欲しがっているようなところが良くないのだと思います。私が求める前に、相手に与えないと駄目なのですよね。私は私のことで精一杯です。この余裕のなさが、相手を大切にできない要因なのでしょう。余裕のある大人を目指します。今年の目標は、余裕のある大人にします。もう5月だけれど、いや、まだ5月ですよね。

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