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僕と阪神と藤川球児

阪神タイガース背番号22番、藤川球児投手が今シーズン限りでの引退を発表しました。
人生で最も愛し、応援しているスポーツ選手ですから、言語化できないほどの感情が溢れ出して触れざるを得ません。
阪神ファンになったのは藤川選手がきっかけですし、彼がテレビに映っていなければ野球をこんなに好きになることもなかったと思います。
今日は僕自身と、僕の目が見続けていたNPB最強クローザーについて語らせてください。


僕の人生と藤川選手のプロ野球人生は期間がモロかぶりしています。
僕が生まれたのも彼が阪神に入団一年目を過ごしたのも1999年です。
1998年ドラフト1位として阪神に入団し、先発ローテーションの柱となり将来のエースとなることを期待されていましたが、入団初期は活躍できずに苦しんでいました。
ついに戦力外目前まで来た時にフォーム改造と中継ぎ転向を行い、文字通り『覚醒』。球界トップセットアッパー・クローザー藤川球児の始まりです。

2005年には有名な、ジェフ・フィリアムス、藤川球児、久保田智之の3人で789回を抑える勝利の方程式を結成し阪神をリーグ優勝へ導きました。
その磐石さは阪神相手には7回までに試合を決めなければ負けと言われるほど。
藤川個人としては当時の最多登板記録80回を更新しながら防御率1.36を記録し最優秀中継ぎのタイトルを獲得。
まさに獅子奮迅の活躍です。
リーグ優勝立役者の1人と言って間違い無いでしょう。


僕が藤川選手の動画ばっか見てるばかりに毎回関連動画に回ってきては、ついつい何度も見てしまう動画です。多分6回は見てる。

が、僕が藤川選手と出会ったのはこの時ではなくてですね。
来年の2006年にスクリーンに映る彼を見て、僕はプロ野球ファンになり阪神ファンになり藤川ファンになったのです。
この年ではシーズン途中、久保田選手が離脱し空白になった抑えを藤川選手が担うことになります。

いつのどの試合だったでしょうか、覚えていません。愛知県で放送されている阪神戦なので巨人戦か中日戦だったと思います。
父や祖父母が時間が合えばいつもご飯を食べる時に流す阪神戦の中継を、すぐに夕飯を食べ終わった僕はぼけーっと眺めていました。
この頃まだ幼稚園児でしたから野球なんてよくわかりません。
幼少期テレビっ子だったので、『家族が応援してるから黄色いチームが勝ってさっさと終わらんかな〜バラエティがはやく見てえ』なんてずっと思ってたり。プロ野球はその程度の存在だったんです。

それが僅差の9回裏になった途端、中継放送を包む空気が、雰囲気が一瞬でガラリと変わります。

ピッチャー変わりまして藤川 背番号22番

このアナウンスひとつで。

そこからはもう独壇場です。全盛期の藤川選手から投げ出される火の玉ストレートを打てる打者なんていませんでしたから。
子供の目にも圧倒的に早いと分かる豪速球、ストレートと分かっていてもボールの下でバットが空を切りバッタバッタと三振に倒れていく打者たち。
投げる度に湧き出す甲子園、うるさいろどに止まないあと1人・あと一球のコール。

彼が持つものがスター性でなくて誰がプロ野球のスターなのでしょう。その試合を見た瞬間に完全に僕は虜になってしまいました。
これが僕が藤川選手と出会い、阪神ファンになったきっかけです。

結果、2006年シーズンは63登板負け無し防御率0.68という化け物じみた成績を残します。
この年の藤川の手のつけられなさはやはりオールスターゲームを見てもらうのが早いでしょう。


小笠原とカブレラという強打者2人を相手にまさかのストレート宣言。
そして宣言通り2人とも三振に取るという...もはや伝説です。

その後藤川選手は阪神不動の絶対的守護神としてクローザーに定着。
2005年から2012年の間2010年の2.01を除いた全ての年で防御率1点台以下の成績を残し、文句なしの最強抑え投手であり続けました。
2012年に海外FA権を行使しメジャー移籍を決め、阪神を離れることとなります。
NPB最強クローザーだった藤川選手ですが、海を渡ってすぐの2013年に腕の張りで故障者リスト入りをします。
トミー・ジョン手術を受けメジャー球団を転々とするも怪我に悩まされ続け、メジャー挑戦は失敗に終わることとなりました。
その後阪神に復帰が決定的と思われましたが、地元に貢献したいという思いから四国独立リーグに無報酬で参加することになり。
その後2016年に阪神タイガースに復帰することになります。

ちょうどこの頃僕はすっかりインターネットの沼に引き摺り込まれてはオタクコンテンツにハマっており、テレビを見ることがぐんと減っていました。
ネット動画やゲームにうつつを抜かして野球観戦をしなくなった時期と藤川選手のメジャー独立時代が重なるんですよね。
いやむしろ、藤川選手がいなくなったから阪神から離れ、プロ野球から離れたのかもしれません。

僕がプロ野球観戦に戻ってきたのは2017年のこと。
この時大学の学費を稼ぎに契約社員として働いていたのですが、これがもうインターネットとかオタクコンテンツに触れていられる余裕がなくてですね。
帰ったらテレビつけて寝るくらいしかやることがなかったんですね。
したら、気付けば阪神戦を見ながら上手い飯を食うだけが生きがいの人になってました。完全に関西のおっちゃんのそれですね…

そしたら防御率2点台の藤川とかいう投手が中継ぎにいるじゃないですか。
あれ・・・?おかしいな・・・?藤川球児の親戚か何か・・・?それとも俊介みたいに同性・・・?
いいえ、本人です。37歳にしてバリバリ現役張っている藤川選手がそこにはいました。
この時の僕はメジャーに行ったら壊れてボロボロになって独立リーグに帰ってきたところまでしか知らなかったんですよ。こんなの普通再起不能だと思うじゃないですか。
しかし、少し形を変えて復活していたんです。
怪我と衰えを乗り越えて第一線で活躍する好きだった選手を見て、辛い思いをしながら働いていた僕も頑張ろうと思えました。

伸びる直球は相変わらずなのですが、僕が藤川選手に対する印象は全盛期と復帰後ではかなり変わっていました。
衰えによる投球スタイルの変化も多少はありましたが、雰囲気がかなり変わっていたような気がします。
全盛期の時は威圧感があり、球場を支配するような力強さからどこか恐ろしい存在のようにさえ思っていました。
しかし、復帰後は練習から登板中までニコニコした笑顔を見せるようになり、凄く明るい雰囲気に。
僕は藤川選手が見せるようになった笑顔が本当に大好きで、復帰後ますますこの選手が好きになりました。

復帰後特に印象に残っているのがこの試合。
背番号22に戻した後初めてクローザーとしてマウンドに上がり、二年ぶりのセーブを記録した試合です。
ランナーを出すなど全盛期のような圧倒的な内容ではなかったにせよ、藤川選手から笑顔はなくなりません。
最後のバッターをキャッチャーフライに打ち取った時のほっとした表情がいつまでも忘れられません。
そしてなにより臨時ではあれクローザー藤川球児の姿を見れたことが嬉しかった。僕にとっては抑えであってこその藤川選手だから。
何歳だろうが関係ない、そんな可能性をそこに見たと思うんです。

その後も30代後半とは思えないピッチングを続け阪神の主力として投げ続けた藤川選手。
マウンドに上がった時の絶望感はなくとも、十分すぎるほど優れたセットアッパー・クローザーであり続けました。
もう一つ外せないのが、引退する阿部選手との最後の対決でしょう。
1球1球目が離せない、正真正銘の真剣勝負。39歳と40歳の選手とは思えません。
いい勝負で目が離せないのはもちろん、一時代を築いた二人の間にはお互いへのリスペクトを感じられます。
普段犬猿の仲の阪神ファンと巨人ファンの気持ちが一つになった瞬間です。
この対決を見ていた時の興奮はいつまでも忘れないでしょう。

しかし、選手生命が無限に続くことはありません。それが救援投手という身体への負担が大きいポジションならばなおさら身体への負担がかかります。
年齢を感じさせない球を投げ続ける藤川選手でしたが、いつ引退してもおかしくないという覚悟を持って応援をしていました。
ついにその時が来てしまったんですね。
実際肩と肘はもうボロボロで、痛み止めの注射を何本も打って登板していたそうです。
今シーズン明らかに球威が落ちて成績も悪く、二軍と一軍を行ったり来たりしていましたから、正直今年までだろうなと分かってはいました。
分かってはいても、今年が終わればもう選手として見られないことを思うと、凄く悲しいし寂しい…

現在日米通算245セーブ、名球会入りの条件である250セーブ目前での引退発表から、ファンや世間からはどうにか250セーブまでつけてあげるべきやという声も多く挙がっています。
でもそれは違うと思います。個人の成績をチームに持ち込むべきではないし、藤川選手自身がそんなことを望んでいないはずです。

─矢野監督にはお話しをされましたでしょうか。
矢野さんには伝えました。監督には伝えていないです。監督と選手として必要であれば、残り2か月半で使ってもらえればいいですし、力がなければ、他の選手でやるべきですし、勝つためだけにやってもらいたいです。なので、まどろっこしいですが前置きで「監督としてではなく、矢野さんとして聞いてください」と伝えました。

引退会見の一幕です。この回答が本当に藤川選手らしいなと思いました。
彼は、自分の成績なんかよりタイガースの優勝を望んでいるんです。
今シーズンもまだ残り半分近くあります。
開幕当初の連敗から奇跡のV字回復を見せ、今では同率二位につけているタイガース。
まだ、まだ優勝の目はあるはずです。
去年までチームの中心となって支え続けていた選手だけに、何度も復活を遂げてきた選手だけに、後半戦の甲子園で藤川球児のアナウンスがまだあるのではないかと、そんなことを思ってしまいます。

藤川球児選手、22年間のプロ野球人生本当にお疲れさまでした。
残りのシーズン、1軍のマウンドで見られることを楽しみにしています。
藤川選手はプロ野球選手以前に人間として僕の憧れでした。
前向きな姿勢、明るい人柄、自分への厳しさを持つストイックさ、全部大好きです。
引退後もファンのままでいたいですし、それがタイガースに関わる仕事だったらもっと嬉しく思います。
今シーズンのタイガース優勝を信じて…僕を野球の世界に連れてきてくれてありがとう。
あなたが最高のピッチャーです。

オットセイに課金してもガチャは回せません。