見出し画像

ICUでGPA4.0とってた「いい子」の自分が、卒業まで僅か4ヶ月を残して休学した理由。

自分が休学を初めて4ヶ月がたった。
周りの人に口頭で伝える時もあったけれど、そんなに声を大にして言うことでもないし(後ろめたいという訳ではなく休学を始めたからなんだ、という感覚)、自分は特に人に色々報告するタイプでもないし、必要性も感じないし、ということで得に何も発信してこなかった。

でも最近、自分の道を探して行くためにも、発信をしてみることの大切さを実感し始めた。

ということで、ちょっと攻めたタイトルで、自分の思考とそれに基づく休学という選択肢について、発信してみたいと思います。

ーーーーーー

必死で「いい学生」をしていた。
でも、超絶苦しかった。

日本生まれ日本育ちの自分、だけど、自分は社会の色々なことに「ん?」と思うことが多かった。そのうちの一つが、日本の教育(制度)。

とくに、点数一元的な価値観を植えこむ受験教育に対しては憤りを感じまくっており、中学校2年生の終わりくらいからほぼ毎日、受験教育について嘆き、夜中まで泣く、みたいな生活をしていた(親には迷惑をかけた...。)

しかし、そんなにも嫌いな価値観・人間の価値を決める判断基準に、私自身がはまってしまうことになる。

「愛の反対は無関心。愛と嫌悪は紙一重」みたいな言葉を聞いたことがあるのだが、その通りだと思う。自分は「この価値観が嫌い」と思いすぎて、その価値観のことばかり考えてしまっていた結果、それ以外の価値観を自分にインストールする機会を失ってしまい、そのまま高校に入ってしまった。

こうして「いい成績取らなきゃ症候群」を抱えることになる。

(これについて書くと記事自体めっちゃ長くなってしまうのでさらっとまとめたnoteのリンクを貼ってみます。リンク貼ってみたら思った以上に面積取っててちょっと後ろめたい。)


「いい成績取らなきゃ症候群」を患った自分は、大学3年の秋に留学を始めるまで、自分は必死にいい学生をしていた。

いや、授業自体は楽しいものが多くて、先生も面白い人が多くて、自分が自分の大学に入れたことを嬉しく思った。

でも、自分の内側にある違和感も常に感じていた。
特に、中間と期末のとき。受験期(またはそれ以上..?)レベルにどんなに小さな小テストでも、冷や汗をかいて。
レポートは誤字雑事がないか確認するために5回でも10回でも確認して提出締め切りギリギリに出す。

そうやって、行きたかったイベントや友達との誘いに行けなかった、ということはもう数えられないくらい何回もある。部活・サークル・インターン など、あらゆるものが学校中心で、「取りたい授業」はとるし、それを不可能にする=学業に支障をきたすものは、まず選択肢にすら入れなかった。

自分の選択で、そうした。
しかし、今振り返ってみて、それが「自分が、自分の人生を楽しく生きるための選択だったのか」ということに関しては、かなり疑問が残る。

別に、サークルの飲み会がしたかった、とか、そういうものではない。
あまりにも学業を中心にしすぎて、少し肩の力を抜いていたらできたであろう余力や時間を、自分の「やりたいこと」に使えたかもしれないのにしなかった、ということに関して後悔がある。

また、「成績で人を判断する価値観から抜けたい」という価値観と、「(自己肯定感とか自己評価が低いので)自分の価値をなんとか証明しなきゃ。成績でしか今まで判断されなかったから成績取らなきゃ」という相反する価値観が同時に発生しており、それに挟まれて、「ほぼ自分の全てをかけて勉強するけど、成績とっても見せたくないから見せないし、でもそうするので誰にも評価される経験をされず、でもそういう風に点数で自分を測ってもらおうとする自分のこと嫌やわ〜」というすごいめんどくさい思考に陥っており苦しんでいた。


「生きるって楽しい」を学んだ留学。

そんなこんなで行った留学先で、自分は"life changing experiences(人生を変える経験)"をすることになる。「留学行くと価値観変わる」とはよく書かれているし、聞かれるが、本当である。本当なのである。

それは、私が1年だけの交換留学生(しかも成績は母校の成績表には反映されない)で、英語がそこまでできないことが前提で、まわりに最高&超寛容な友達がいて、最高な先生がいて、というものすごい偶然と超最高な条件が揃ったからこそ、可能になったことではある。そして、留学行くのに日本のこと考えるのってなんか違うなと思い、日本の3年生がしているであろう就活などを一切やめて”Midd Kids”(留学先の学生たちが自分たちのことをよくこう呼んでた)の一人として生きることを選択したからだと思う。

が、早い話が自分は留学を通して「自分自身で在る」ことの大切さや、そこからやってくる生きる楽しさなどを体感し、今まであった価値観が(いい意味で)ぶっ壊れた。(時間があればここら辺はまた書きたいと思っている。)


いままでの価値観がぶっ飛んだ自分は、

(シンプルに言えば)
・他からの「常識(≒べき論)」や他人の価値観で生きてたから生きづらかったこと。
・世の中の人が持っている「べき論」は、大体において、本当は納得してないけどそういうものだから教え込まれているのでネガティヴな気持ちで従っている。
・世の中では自分の「べき論」の押し付け合いが起こっているから、生きづらさを感じる人が多くいる(どこの国や地域でも同じ構造)し、他人にべき論を押し付けることにより、生きづらさの再生産が行われている。

などのことを体感的に理解した。

そして、最終的に「自分の等身大のありのままを認めて、自分にも、他人にも寛容な人が増えたら世の中ハッピーな人がふえる!!」という答えにたどり着いた。

その感覚を体得(?)した自分は、「自分のワクワクに従って生きていいんだ!」という感覚を得て、留学先でいろんなプロジェクトに関わって無双していた。ワクワクの塊が心の中にあって、その塊が動く方向に、体が動いていく、そんな感じに近かった。(覚醒状態だったとよく言っている)

その結果、いろんなプロジェクトに首を突っ込んで心つながる仲間を見つけられたり、日本にいたら絶対できなかったであろう経験をたくさんさせてもらった。(引き寄せの法則ってこういうやつか...?と今振り返って思ったりする。)


日本へ帰って来て、絶望した。


そんな「覚醒」した状態で日本で帰って、
自分が前々から恐れていたことが起こった。

覚醒していた時の感覚が、一瞬で消えてしまったのだ。

自分の可能性は感じられなくなっちゃうし。将来不安しかなくなるし(いわゆる「普通」の大学3・4年or就活生の感覚なのかなと勝手に思っている)、なにより、ワクワクを感じられることが全くなくなってしまった。自分の価値証明のために、自分では納得していない点数ベースの評価基準に一生懸命自分を押し付けていた、以前の自分になってしまった。


「社会」や「まわりのひと」の価値観ー「良さそう」に従って行きても、全然幸せじゃないということを今までの経験からわかってて、そこから一度抜けたのに、また戻ってきてしまった。その感覚を味わうのが苦しかった。

留学から帰ってきた直後の4年の秋。やろうと思えば、就活はできた。
でも、あの自分の納得しない「べき論」に支配された状態で就活をして、「べき論」で溢れる社会・集団に入ったら。今まで苦しんできた構造と全く同じ構造に自ら入ることになる、と思った。

もういいよ、この構造のなかで苦しむのは、とおもった。

「べき論」にあまり支配されてない場もある(レイヤーという方が近いかも)ということは、それまでのNPOでのインターンなどから、知っていた。あとは、自分で納得する自分の基準を決めて、それにしたがって生きていく覚悟があれば、自分がべき論に縛られて苦しい、という構造から抜けられるはずだ、と思った。

私は、自分で納得する道を選ぶために自分の選択の基準を明確にする。
そのために、べき論でとらわれてしまう学校から一旦離れて、社会の同世代の流れからも一旦離れて、動いてみよう。

そう思って、休学を始めた。

いろんな声があったが、私には今モラトリアムの期間を取ることに感じるメリットの方が1000倍あるように感じられた。

休学届けを出した時に、1年前、大学院入学のために必死に準備してた自分を思い出して(自分の大学には5年で修士を終わることのできる(=4年と院1を同時にする)プログラムがあり、選考にも通っていたが、それも辞退した。)、自分変わったんだなぁと実感した。


ーーーーーー

休学4ヶ月目。
最初は、一学期分のみの休学にするかも迷っていた。しかし、実際にやってみて、もうしこし時間が必要だと感じ、休学を1年に伸ばした。

4ヶ月、早いようで短くて。

落ちたり上がったりする日々が続いているけども、
少しずつ上昇できている感覚はある。

近いうちにその振り返りを書きたいなと思っている。

画像1


ワクワクとともに生きる未来に向かって、ちゃんと進んでいきたい。


追記:休学終わりました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?