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誰かのせいにするのは、もうやめよう

4月1日付でマネージャー職が全員入替になった。3月25日夜の都知事会見以降、すぐに対応しなければならなかったことを先延ばしにし続けた前のマネージャーは、何もしないまま他部署に異動していった。後任が敏腕な人であったので2日半でことは片付いたが、普通の人なら卒倒していたのではないか。かのマネージャーがぐずぐずしていたのは、責任を取りたくなかったからだと思う。この1年の行動原理はずっとそうだった。責任を取りたくない、失敗を押し付けられたくない。…その結果まわりの信用を失い、時間ばかり浪費していたのだから可哀想である。


責任を取りたくないのはマネージャーだけではないらしい。

国土交通省の政務官がCOVID-19対策について、感染拡大を「国のせいにしないでほしい」とおっしゃった。

政治家は責任を取るために選挙で選ばれているのだから、責任を取りたくないのであれば、政治家をお辞めになられたほうがよろしいと思う。

かの首相も責任を取りたくないように見える。過去7年の間も、「責任は私にある」とは言っても「私が責任を取る」と仰ったことがあっただろうか。記憶違いであれば申し訳ないが、私は記憶にない。

他国では政権支持率が急激に上昇している一方、日本はほぼ横ばいであることも、この姿勢にあるのではないか。(各国の支持率の推移については下記を参照されたい)

この「責任を取りたがらない」風潮は、根が深い問題だ。上で挙げた彼らのせいにしても、何も解決しないだろう。


われわれ日本社会は失敗に不寛容だ。失敗すると吊し上げをくらい、一生を棒に振るほどの攻撃を受ける。その結果、だれも失敗の責任を取りたがらなくなる。つまり決断しなくなる

なぜ日本がこのようになったのか、私の知見で歴史を紐解くことは難しいが、75年前の戦争のときもことは同じであったのではないか。敗戦は決定的であったにもかかわらず、ずるずると決断を先延ばしにした結果、様々な悲劇を招いてしまった。


今の日本に求められていることは、決断を促すための空気を作ることだ

この社会は、誰かを悪者にすることによって問題を解決した気になろうとする。アベ政権が悪い、足を引っ張る野党が悪い、ウイルスを発生させた国が悪い…すべて同じだ。誰が悪いかを確定させたところで、死者は減らない。

糾弾を恐れていては決断はできない。その結果、判断はどんどん先延ばしになる。先延ばしにしている間に、結果は悪くなる。

マスクの件も問題はここだ。2月や3月の初旬に国民に一斉にマスクが配られていたら、反応や効果は全く違っただろう。効果の可否うんぬんではなく、政策として打ち出すタイミングがあまりに遅かった。それだけである。厚生労働省はかなり対策行動をしていたと思うが、当の首相が危機感を持って行動しているように思えず、さんざん検討した結果(期待値が上がったタイミングで)あれだったから、猛批判を浴びているのである。

COVID-19対策の正解は、世界中で誰も知らない。「完璧な政策」を実施できる人はいない。だからこそ、素早い決断、行動、改善が求められるのである(俗に言うPDCAサイクルだ)。これができているから、北海道知事や千葉市長は評価を受けているのではないか。

今は、政府を攻撃したり擁護したりしている場合ではない。必要と思われる政策を次々と実行し、効果を検証し、フィードバックして次の政策実行につなげる。これをひたすら繰り返すしかない。必要なのは、プランの提案と、検討や結果に対する論理的な批判だけだ。攻撃と擁護は、どちらもなにも解決に導かない。

各行政機関は必死になって働いている。その中で、さまざまな施策が浮かんでいるはずだ。政治家に求めるのは、その施策を行政機関が気兼ねなく実行できるよう、決断をし、責任を取ることだ

「私がすべての責任を取る。だから、効果があると思われることはできる限り多く実行しよう。」こう言えるリーダーであることを切に望む。