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「世界観」とは何か?<連載01>

「世界観」を口にする時には、様々な言い方があります。

「宮崎駿の世界観」
「尾崎豊の世界観」
「ハリーポッターの世界観」
「キリスト教の世界観」

確かにそれぞれ、誰かが口にしているのを聞いたことがあるようなフレーズです。

一方、それぞれの「世界観」の意味するところを、注意深く見つめていくと、全てが同じ意味では語られていない気もしてきます。

例えば、「宮崎駿の世界観」と「尾崎豊の世界観」を比べてみた時にはどうでしょうか。

いずれもその作品を作った作者が作り出す世界観ながら、宮崎駿の方は、そこで生み出されるストーリーやキャラクターに共通する可愛らしさや映像の質感が想起されるのに対し、尾崎豊の方は、歌詞が生み出すストーリーや音の質感より、もう少し10代の頃特有の人生に対するもどかしさみたいなものが、「世界観」として浮かんでくる気がします。

これが「ハリーポッターの世界観」になると、魔法が使える、魔法学校があるとか、そういう設定、あるいは現実との差異にフィーチャーした言い方で使われていそうです。

さらに「キリスト教の世界観」という言い方になると、世界を創造した神がいて、その神と隣人への愛が重要であるなど、世界の本質を定義したニュアンスが強まります。

以下、それぞれの「世界観」として想起されることを書き出してみると(個人的な主観になりますので、無知な部分はご容赦ください)、

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「宮崎駿の世界観」
キャラクターが可愛らしい。ハッピーエンドで終わることが多い。性善説的なストーリーが多い。

「尾崎豊の世界観」
10代の頃のモヤモヤした気持ちが詰まっている。人生の一回性みたいな切実さ。

「ハリーポッターの世界観」
魔法が使えるという設定。少年ジャンプ的な主人公が成長して悪をやっつけるストーリー性。

「キリスト教の世界観」
世界を作った神の存在がある。愛が重要である。人は原罪を背負っているなど世界の前提。

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このように、「世界観」という言葉は多領域にまたがり、おそらくは一言で括れないものなのでしょう。

私たち世界観研究所は、この「世界観」という言葉の解像度を、様々な角度から高めていきたいと思っています。

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次回は、そもそもの「世界観」という言葉の定義から掘り下げていきたいと思います。

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