見出し画像

「世界観とは何か?」<連載07 なぜ人は「世界観」を求めるのか?①>

前回まだ04~06では、「環世界」という概念を元に世界観を考察しました。

連載02で書いたように、世界観には第一定義的な「世界とはこういうものだという世界に対する見方」という意味の「worldview」と「フィクション作品の世界設定」という意味の「worldbuilding」があります。

「環世界」の話は、まさに「worldview」がどうやって生まれるかの根源的な話でした。

人はそもそも外界を知覚する中で、自然と自分に必要な情報だけを切り取って、自分だけの世界を切り取っています。世界観を持っていないという人はいなくて、そもそも外側の世界を知覚している時点で世界観が生まれているということになります。

その世界観が知覚レベルで本能的な意味での取捨選択しており、さらには経験と記憶によって意識レベルで、あらゆるものに自然に優劣をつけていくのです。

それは、そもそもの動物的な意味での「世界観」に、人間としての「世界観」(社会的な共通概念)、さらには個人としての「世界観」(個人的価値観)などが重なり、トータルにその人の世界観が形成されていっているとも言えるでしょう。

このことは、「世界観の効用(機能的意味)」を指し示していて、つまりある方が便利だから世界観は兼ね備わっているとも言えます。

究極的には、世界観は生存確率を高めるため、つまり、リスクを避けてより効率よく生きるための機能だなり、世界観があることで、選択の幅が縮まり、時には自動で必要な行動ができるのです。

こういった世界観の効能に注目すると、自分の外側にある世界観を評価したり、「○○の世界観」が好きという言い方をすることに対しての解像度が上がってくる気がします。

次回はその話を続けていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?