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銃規制と権利と

 ご存知の通り、アメリカでは銃の所持が認められている。もちろん、事前登録は必要ではあるが。しかし、最近では3Dプリンターを使って自作できる銃というのが密かに広がっているらしい。以前は一発打ったら壊れるという代物だったようだが、その技術もだいぶ進化しているようで数発打っても大丈夫というぐらいに耐性が上がってきているようだ。この銃であれば登録をしなくても良く、コンピューターの素人でもその気になれば数日ぐらいで作成方法を習得できるというのであるから脅威だ。

 日本に住んでいるとなぜそこまで銃にこだわるのか理解できない。そもそも、日本のように全員が銃を持たなければ最低でも銃による犯罪は激減するだろうと思うのだが。そのような話を以前アメリカ人としたことはあるが、「悪い奴は銃を捨てない。」という意見だった。私は「日本にも悪い奴はたくさんいるが銃は違法で、その結果銃犯罪というのはほとんど耳にしない。」と言うと、何も言い返して来なかった。全員に銃を捨てさせるのは時すでに遅しというところなのかも知れない。

 コロナでも「マスクを着用しない権利」とかアメリカではとにかく権利を主張する。権利というのはそれぞれが持つ「健康に生き、幸せを追求する権利」が基本にあってこそ色々なものが付随してくると思うのだが、それはアメリカの個人の権利の考え方と日本のような集団で生きる権利の根本的な考え方の違いなのだろうか。

 個の権利を追求していくと「自分だけ富を得る権利」「自分だけ生きやすく生きる権利」など、他のことを一切考えずに権利ばかり主張することができる。そうすると、貧富の差はさらに広がるばかりだ。幸いなことにアメリカはキリスト教の教えを基本にした個々の倫理観が根付いている。それが、個人を主張し過ぎないための一つのブレーキ役となっているのだろう。

 しかし最近ではアメリカでの宗教観が薄れているようである。元々個の力が強いアメリカにおいて宗教というストッパーがなくなってしまったら、無秩序を基本とした秩序を保つ国になってしまうのではないかという不安を覚える。アメリカに住んでいた時には、アメリカの宗教宗教した考え方と常に自分らが世界のリーダーだというプライドというのは鬱陶しくも感じていたが、前大統領の時に見せられたアメリカが主導する世界の破滅への道筋を垣間見ると、彼らにはこれからも経済的にも軍事的にもそして倫理的にもリーダーでいてほしいと思う。

 ここまでの話しの流れから集団性が良いように感じられたかと思うが、間違いなく世界は個の力へと移行している。だからといって人の権利を奪うような権利が許される社会になってはならない。秩序の保たれた新時代の個の生き方というのをこれからの人類は模索していく必要があるのではないだろうか。

 

 

世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。