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自分の肩書き

 皆さんは今、どのような肩書きで生きているだろうか?〇〇社所属、〇〇社部長などなど。肩書きというのは自分の人生を歩んでいく中で辿り着いたものだ。どのようなものでもそれはそれで素晴らしい。しかし、もしもあなたがその肩書きを失った時、他に何が残るだろうか?

 先日の記事にも書いたように今はどのような会社でも潰れる可能性がある。ソフトバンクですら孫社長自ら、「一生この会社で生きていけるとは思わないでほしい。」と革新性への激励も含めて社員に伝えているぐらいだ。もしも、今自分が生きている環境がなくなった時、ライフシフトは可能なのであろうか?そうあなたも自問してみてほしい。

 このようなことを考えるようになってから、自分はまず家計簿をつけるようになった。昔は紙やエクセルなどを使っていたが、最近はスマホでも便利なアプリが無料でたくさんあるのでそれを使って、出費や収入があるたびに細かく記録している。なぜなら、ライフシフトした時に今と同じ給料がもらえるとは思えないからだ。

 今よりも収入が減った時にでも耐えられるようにするためには貯金だけではなく毎月使うお金を出来るだけ少なく済ませることだ。そうすれば、給料の増減によらず、やりがいをベースにして新しい職に転じることができる。貯金が十分あれば起業なんて道も現実的に考えられる。

 さて、表題にある肩書きの件であるが、一時自分はより多くの肩書きを持っている方がリスクヘッジになると考えていた。しかし、それは違ったように思える。なぜなら肩書きを維持するために多くの労力を割かなければならないし、そもそも自分の肩書きに寄って来る人たちというのはその肩書きが好きなだけで、自分自身に対してあまり興味はない。

 言葉で人を虜にするかの有名なローランド氏も同じことを言っていた。彼は名刺にRolandしか書いていないらしい。それだけで自分に興味を持ってくれた人は、Rolandに対して興味を持った長く付き合える存在だという考えのようだ。この考えには大いに賛同する。

 リタイヤも含め社会から離れた人の多くは自分に肩書きをつけたがるという。〇〇団団長というのを肩書きのためにわざわざ立ち上げる人もいるようだ。サラリーマンの性とも言えるが、それは結局自分が歩んできた人生は肩書きによって支えられていたと暗に認めているようなものだ。

 今、自分はできるだけ肩書きに頼らないように生きたいと思っている。できれば最後は「社会活動家」ぐらいになりたい。そのためには自分力をさらに高める努力を続けなければならないのだろうなと思う。そう。個の力を鍛えた者のみが肩書きから解放される権利を得るのだ。

 


世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。