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勤労の義務への意見書

 「国民の3大義務」という言葉をご存知だろうか?言葉は聞いたことあるが、3つ全てを言える人は意外と少ないかもしれない。私もだったが、

 答えは納税、教育、そして勤労である。もちろん学生世代は社会で習ったばかりかもしれないが。

 納税は確かにその通りだ。国は国民からの税金により運営されているので、それを支払わない人がいては困る。現に困っているからこそ、脱税などが大きく取り上げられ、マルサが一生懸命取り立てるのだ。だからこそ義務化して、しっかりと税金を払ってもらうのは当然と言えば当然だ。その見返りとして目に見える形、見えない形で多くのサービスを我々は受けているということも記しておきたい。

 教育の義務もその通りである。代々受け継がれてきた知識を次世代に受け継がなければ国家は繁栄できない。また、事の善悪の判断も教育により多角的な価値観を身につけたからこそできるという側面もある。人間は頭脳という最大の武器を全種の中で身につけているからこそ、我が物顔で地球に暮らせるのだ。蛇足だが。


 問題と思えるのは勤労である。勤労の捉え方は人それぞれだがこの言葉を見たときに単純に思い浮かぶのは労働である。「仕事をして世に尽くす。」これが義務化されていることに違和感と問題を感じる。

 なぜなら、労働したいのにできない人たちがいるからだ。病気とかで労働できないというのは恐らく問題ではないだろう。税金、教育だって事情があれば考慮してくれるし、義務よりも権利保障のために救済策だってある。問題は「働く意思はあるのに仕事がない」という事態が起こり得ることだ。

 このコロナで仕事はだいぶ減っている。今の状況下では失業率は6%を超えると予想され、以前にもリーマンショックで日本が不景気に陥ったとき、失業率は5.5%に昇った

 労働したいのにできない人たちがいるのに、勤労の義務を果たしていないことにしてしまうこの義務はどうなのか?

 調べたところ、勤労を義務化しているのは世界で日本、中国、韓国だけのようだ。中国は社会主義国家であり、全員が働くことで国全体を豊かにしていこうという思想が根底にあることから勤労を義務化するのは的を得ている。しかし、日本や韓国のような資本主義国家は働くということに多様な考えを持つべきであり、国民全員に義務として課すというのはどうなのか?もしもそれを課すのであれば、失業率が限りなく0%になるよう、公共事業をさらに増やしたり、渡航費とコネクションを政府が捻出するから海外で労働できる環境を全員平等に与えるべきではないだろうか。特別な事情を除き、義務を果たせないのという余地を無くさなければ義務そのものが成立しないように思える。

 そして、資本主義最大の市場である証券取引だが、言わずとも株式配当だけで生活している人も勤労の義務を果たしていない(果たし終えた?)とも言える。義務である以上終わりがあってはならないので、株を買って「はい終わり。」は憲法上許されないのではないか。しかし、株式市場はそのような大口投資家により支えられ、企業も市場から資金を調達して成長している。

 考え出すとキリはないが、この話しは素人目から見た違和感であるということを強調しておきたい。「そもそも憲法での勤労とはそういう意味で使っていないよ。」とか、「論点そのものがズレているよ。」ということあればぜひ教えて頂きたい。しかし、それであれば、なぜ世界のほとんどの国は勤労を義務化していないのだろうか?疑問が疑問を呼ぶ。。


世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。