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教師のバトン炎上を受けて

 世界一多忙な仕事とも言われる日本の教師。それは言い過ぎだと思うが、それでもやりがいを叶えるよりも雑務の量が圧倒的に多い教師の仕事というのが過酷なのは言うまでもない。授業、生徒指導、部活指導、保護者対応、提出書類の作成と管理。最近はコロナ問題も加わり昼食指導や朝の生徒健康チェック。書き上げたらその仕事量にキリがない。

 こんな状態の仕事だからもちろん成り手も少なくなっている。コロナによる就職難が問題となりつつあるが、教員免許を持っていて都道府県や公立学校に拘らなければ就職はそんなに高い障壁なく可能である。その中でも英語の免許状を持っていればどこかには必ず就職できる。

 教育という国の将来を担う若者の通過点にいる大人が大した競争を経験せず、現場では生徒の相手をする時間もないという現状はどう考えても健全ではないが、こればかりは国の問題なのでどうすることもできない。せめて教師のバトンという現場の声を公的に吸い上げようとしたことは評価するべきか?

 以外に思うかもしれないがアメリカの教育の中で最も忙しいと言われている仕事は実はスクールカウンセラーである。生徒指導、テストコーディネーター、特別支援コーディネーター、出欠管理などなど。「スクールカウンセラー1年目をどのように生き残るか?」という本が売られているぐらいだ。私がスクールカウンセラーとして働いていた時はあまりに大変すぎていつ寝たか毎日思い出せないぐらいだ。(ご飯を食べている途中に寝落ちして気づいたら朝だったこと。料理をしている最中に寝落ちしてTシャツが燃えて危うく焼死しそうになったこと。あげればキリがない。)

 本当に良質な人材を教育機関に引き入れたければ給料もそうだが、「暇」と思われるぐらいに労働環境を良くすることにある。以前に自分の子どもの入学式に出席するため、勤務先の入学式を欠席した教員が問題にされた例があったが、「何が悪いのか?」と思う。むしろ、自分の子どもすら大切にできない人に子どもを預けたいと思うのだろうか?こんなことで世間が問題視するのは日本ぐらいだろう。アメリカで働いていた時は「何よりも自分の家族を大切にしなさい。」と所属している学校長からよく言われたものだ。

 そもそも、日本の学校は先生に対して「一人の聖人」という見方が根強い。先生も自分の人生や家庭があるし、うまく行くことも行かないこともある。つまり、他の人同様、仕事を通じて成長していく「人間」だ。成長するためには学校という組織から少し離れることも、自分自身の人生の豊かさを求めることも必要だ。このままでは本当に誰も教員になろうとせず、教員採用倍率0.○倍時代がやってくるものと本気で危惧する。

 教育現場をよくするためには教員の職場満足度を上げる。そういう取り組みに本腰を入れていかないと、優秀な人材は教員にならず、仕方なく教員になったというサラリーマン教員ばかりの国になってしまうのではないだろうか。


世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。