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感じる四季

季節の変わり目を感じるいくつかの出来事がある。

たとえば雨。春まだ間もない頃の雨はとても寒くて冷たくて、だけどちょっとじっとりとした湿気を感じる。
雨が来てその湿気を感じるたび、梅雨を、そして夏の気配を感じたものだった。
秋の雨はそれとはまた違って。
やっと涼しくなった中でのじんわり蒸し暑い雨。だけど過ぎ去ると爽やかな風が吹いてくる。一雨ごとに気温が低くなっていくのを肌で感じる。

雨だけではない。じりじりと注いでいた太陽の日差しはいつのまにか柔らかな秋の光になり、熱帯夜の夜にじーじーと鳴いていた地中の虫は、りーんりーんと鈴虫の声になる。
子どもの肌の黒さを実感する頃にはすっかり夏は過ぎさっていて、頬っぺたを真っ赤にする頃には空気の冷たさを感じるようになる。

日本という国が、こんなに四季という季節を風景や目や感覚で感じさせてくれるものだと気づいたのは、やはりある程度の年齢をいってからのように思う。
「春らしくなってきたね」
「毎日暑すぎるよ」
「ようやく涼しくなってきて」
「今夜は冷え込むみたいだね」
そんなたわいもない会話でも、四季を楽しんでいるのかなと思う。

そして最近は、周りの風景で四季を感じることだけでなく、身体でも感じさせていただいている。
それが「寒暖差アレルギー」と「季節性湿疹」である。
寒暖差アレルギーは鼻と喉に来る。当初はアレ風邪かなとか思っているうちにみるみるうちに鼻水ズルズル、ゴホゴホと咳をするようになる。だがここ数年で気づいたのは、それが明らかに春と秋の気温が不安定な時期に起こるといったことである。
そしてもう一つの季節性湿疹は目の周りにくる。ある日突然、だ。なんかちょっとカユいな?と思って目の周りを掻いていると、翌日目がボーン!と腫れる。これも数年で把握して、分かってはいるのだが、どうしても掻いてしまう。ネットで調べると、目の周りにある保護するセラミドなどの皮膚組織が年々薄くなり、気温や湿度の変化に追いつけず、炎症を起こしかゆみを起こしてしまうとのこと。一番は「かかない」のがベストなのだが、掻いてしまうことで余計に炎症をひどくさせてしまうという悲しいループに陥ってしまう。

寒暖差アレルギーは咳以外は慣れている花粉症っぽいのでわりと元気だし、鼻炎持ちとしては鼻水なんてほとんど気にならないから平気なのだけれど、この湿疹は目の周りだけあって、化粧もできないし、目立つし、で、とても悲しい羽目になる。昨日は職場で、後輩に誰かに殴られたんではないかとか、左利きでしたっけ?などといじられまくった。下手に心配されるよりいいけど。

だけどなんとも言えない気持ちになるのは、湿疹についてはどのサイトをみても「老化」が原因のひとつと言われることだ。ホコリやダニが、と言われれば掃除でもするかという気になるが、外的要因でないということと、どうしようもない内的要因であることが少なからずショックでもある。確実に自分が生命として生きる力は落ちてきている。その実証のひとつがこれ。
分かっているけど~~~目の当たりにするとせつないわ~~~~~~
緑色が少し色あせてきた近所の山に向かって叫びたい気持ちである。

身体で感じる四季。年齢を重ねるとそんなこともできるようになるのである(いらんけど)。

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