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会いたいけど会えないひと

大学生のころにアルバイト先で出会ったひとがいる。

当時私は20歳の大学生で、そのひとは29歳の新婚だった。
「結婚したばかりなんだよね」といったそのひとは、
「人妻ってやつですね!」といったわたしに、
「新婚さんって言われることはあるけど、いきなり人妻って!」と爆笑してくれたことが最初の出会いだった。

残りの大学生活のなかで、アルバイトのあとにほぼ毎回といってもいいほどそのひとと居酒屋で飲んで語った。
結婚したてでまだ子どものいなかったそのひとは、いろいろなことを教えてくれた。

生きていて、あ、このひとすごいなと思えた最初のひとだった。
人への接し方、仕事の工夫の仕方、人生の楽しみ方、社会のスキマ、わたしの就職活動への悩み、彼氏や親との付き合い方、あらゆる話を聞いてくれ、諭してくれ、時には怒ったり泣いたり、喜んでくれた。学生から社会人へ、さなぎを破らなければいけない、苦しい時期に誰よりもそばで話を聞いてくれた、かけがえのないひとだった。

わたしは本当に子どもで、出会ってからそのあと、そのひとが離婚したり、再婚したり、また離婚したりといった、そのひとの人生の悩みに付き合うことができなかった。というよりも、今思えばきっと相手にされていなかったのだろうと思う。いつまでたっても妹だった。

年月が過ぎ、わたしが結婚することになった。その時には、式で友人代表で挨拶をしてもらった。本当に尊敬した好きな人だったから嬉しくて仕方なかった。

子どもが好きで、できないなら養子でもと言っていたほどのそのひとには、諸事情があり、ついに子どもには恵まれなかった。そして私には子どもが生まれ、共通の友人たちにもどんどん子どもが生まれて子育てに翻弄される日々が始まった。

人生にはステージがある。子ども、社会人、育児、夫婦、さまざまなステージがあるが、繋がってはいるように見えて、大きな、大きな深い溝がある。わたしはいつだってそのひとのことが大好きでつながっていたい、たまには顔を見ていたいと思っていたのだけど、ある時、

「今は話が合わない時期だと思うよ。わたしは親の介護をしなきゃだし、あんたたちは子育て忙しいでしょ。焦らなくていいから、もっと落ち着いたら、また会えばいいんだよ」

という意味のメールをもらったことがあった。間接的に「今は会いたくない」と言われたことに当初はショックを隠し切れなかったが、考えれば考えるほど、その背景には、ほんとうにほんとうに色々な意味があるのだろうと感じた。だからそのひとの言葉を大切にしたいと思った。

今は年賀状と、年に1度の誕生日のやりとりでつながっている。私のほうが誕生日が早いので、毎年かかさずメールをくれるそのひとはやっぱりすごいと思うし、細くなってしまった糸だけど、強くしていきたいと思っている。今はまだ、会えない。会いたいけれど、会えない。だけど、いつかまた、かつてのように出かけながら一緒に美味しいお酒を飲むことをひそかな目標にしている。

わたしの人生のなかで大きな影響を与えたひと、迷ったときにたすけてくれたひと、そんな存在が、いつもわたしの胸の奥にいる。



#たすけてくれてありがとう

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