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流産のこと

今回は自分に起きた出来事についてお話したいと思います。

実は先日、第2子を妊娠しました。
第1子を産んでから「やっと」もう一人いてもいいかなぁと思えるようになり(このへんのエピソードもいつか書いてみたい)、パートナーと協議し妊活してみたわけですが、おかげでめでたく授かることができました。

第1子の時は、妊娠発覚から少しのトラブルはあったものの、おおむね順調に出産まで至ったので、今回も何ら疑問には思っていませんでした。しかし、妊娠が発覚し胎嚢まで病院で確認したものの、その次に診察を受けた時には心拍を確認することができませんでした。

妊娠出産の知識がない方のために若干説明しますと、妊娠すると生理が止まるのでああ妊娠したかなと思うわけです。しかし、この時点ではちゃんと受精卵が来るべき位置(子宮)に着床したかが分からないのですね。たまに子宮外に着床してしまうと場所によっては破裂などを起こしてしまう恐れがあるので、まず第一に着床場所が大丈夫か病院で確認するわけです。

しかしこの時点では受精卵が小さいので、心拍までは分かりません。この心拍が確認できることがその次の大きなステップです。私はこの時点で心拍が確認できなかったため、医学的には「稽留流産」ということで胎児死亡という診断になりました。

さて、稽留流産と診断されると、体内にある赤ちゃんの袋を自然に排出するのを待つ(もしくは出てきてしまう)か、手術によって摘出してもらうという選択肢になります。ケースバイケースでしょうが、私の身体は妊娠を継続しているといまだ認識しているようでつわりが続いて苦しかったため、手術をしてもらうことにしました。しかし、胎児はおなかの中でもう生きていないというのにつわりが続くという妙。というより「つわり損」じゃんチキショー・・・とか思ってました。ま、仕方がないのですが。

旦那さんに経緯を話し、今回は仕方なかったね、また今度授かれるといいね、と話し、手術を受け、帰宅しました。ありがたいことにあまり痛みも出血もなく、自宅で安静にすることで身体はだいぶ回復したように思います。ちなみに手術後からすっかりつわりはなくなりました。すごい。

例えば、待望の待ちに待った赤ちゃん、ということであれば、この時点で悲しくて辛くて泣いて暮らすという方もいらっしゃると思います。しかし私は第1子がいて、の第2子。しかももうすぐ40代ということである程度のリスクも「知識」として知っています。ネットで拾った文章によると、妊婦全体の15%、40代妊婦の40%が経験すること、と特段珍しい事象でもないのも知っています。40%という確率は、低いように見えますが、天気予報でいえばほぼ雨がふるだろうと言ってもいいくらいの確率の感覚。なので、ああ今回は仕方がないな…と思っていました。

「流産」というと精神的に大きなダメージがあるイメージが少なくありませんが、先に述べたようにある程度の前知識、そして第一子がいて、年齢的にもあわよくば授かれたらのスタンスでいた私には、わりと冷静でダメージがないような感じでした。

しかし、手術後2日ほどたつと、あからさまに気分が沈み、なーんにも、やる気が起きなくなってしまいました。気分が暗くなり、視界の隅がグレーになる感覚。横になると起き上がりたくない。ずっとこのまま溶けてしまいたい…。

すぐにホルモンバランスの乱れによる鬱的症状だと分かりました。産後にも同じような感覚になったことがあったので、ああこれは妊娠状態が終了したからホルモンバランスが崩れてきてるんだな、と「理解」はできました。でもね、脳で「理解」はできても本当に気分が落ち込んでしんどかったです。これも重ねて、人間の身体とは厄介なものです。

私は性格的に、友達や家族の前でワンワン泣いたり、辛さを吐露することができないタイプで、ずっと自分の気持ちの中で考えをループさせたり、本や映画や音楽にぶつけて消化してきました。こういうタイプって少なくないと思うのですが、今回も横になりながら自分の中で気持ちを消化すべくぐるぐる考えを巡らせていました。

で、出た結論は、「やっぱり悲しかった」んだな。ってことでした。そして、「思った以上に妊娠が嬉しかったから」だったということも分かりました。自分でも、結局そんなことかい!って思いましたが、そういうことでした。

妊娠・出産って本当に楽しいばかりじゃないです。身体の変化もそうだし、出産は命がけだし、産後と赤ちゃんの世話は大変なことも多い。だけど、第1子でそれと同じくらいの喜びや幸せをもらえていて、私は第2子を楽しみにしていたんだなあと、(当たり前のことですが)感じていたようです。横になって、涙がすーっと出てきました。

ここまで落とし込んで、やっとやっとはっきりと「赤ちゃんがほしかった」というところまでたどり着きました。いや、本来その意志が根底にはあったはずですが、なんかこう色々な現実が気持ちをガードしていたのですよね。思考があまのじゃくなので、なかなか素直になれなかったのだろうと思うのです。普段の自分であれば、赤ちゃんだめだったかー、またしばらく酒が飲めるからまぁいいや、と思うタイプなんですが。

そして、なぜ今回文章にしたかというと、今はインターネットで情報・知識が山ほどあふれているので、流産に関しても、私のように知識が先行している人ってとっても多いと思うのですよ。流産に関わらず、妊娠・出産に関しても。でも情報を得れば得るほど、「感情」が置き去りになっている人も少なくないと思うのです。ネットでは「悲しいときは泣けばいい」とか「辛いですよね」という言葉も多く見かけましたが、その言葉も、実は最初は違和感でしかありませんでした。(そう思われて、この記事を読まれた人はごめんなさいね)。初期流産はいわば、初期不良のようなもの。妊婦に原因はほとんどないとされているし、運が悪かったという表現は違うかもしれませんが、本当に巡り合ってしまった不運としかいいようがないのです。当たりくじが外れただけのことに「泣いたり」「辛い」って感覚って???って思っていたのですね。(書いていてさすがにこんなドライな人はあんまりいないかも・・・と思えてきましたが)。そういう方がきっと大多数だとは思うのですが、情報が先走りになって、翻弄された結果、こんな風に感情が置き去りになっている人もいるんだよ、ということです。

ただ、ホルモンバランスの崩れと同時に、そこまで感情を落とし込んでいくことができたというのは、自分にとって良かったと思いました。鬱的状態も、「いつもの自分ではない」のが「今だけの期間限定的」と分かっていても、暗い気持ちになるのはあまり楽しいことではないので、このタイミングで、今回の妊娠について、もう一つは次にむけての気持ちを確認できたことは良かったです。なので、これを読んだほかの誰かが、「なるほどこのケースは自分と近いかも」と気持ちを消化する手立てのひとつになれば、と思い、書いてみました。

若干勢いで書いているので、文章の乱れなどは容赦いただきたいのですが、流産をされて、また今度、授かれることを希望しているすべての皆さんへ。わたしも次また、授かれるといいなぁと思いながら。

※191118 一部文章を修正しました。「流産」というワードからか、よくご覧になる方が多いようなので、誤解のないように少し直してみました。今後も直すかもしれません。流産についての他の情報が知りたかった方、状態などをお聞きになりたかった(私も当時は検索魔だったので)方は、コメントいただければわかる範囲で回答いたします。

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