大人の猫

 ここは猫の国。二本足で歩く猫たちが人のように暮らす街。かつて隆盛を極めた人の文明は滅びたが、長い時間をかけて猫たちがそれを引き継いだ。猫も犬も鳥も爬虫類も昆虫も、様々な生き物が同じように人に愛されたが、一番怠惰に見えた猫たちが文明を保持するほどに知能を発達させたのは、彼らが他の生き物ほど人に忠実ではなかったからかもしれない。

 猫の国の猫の街では、かつて人が悩まされ続けたように、猫と猫の間で些細な問題が頻発する。そしてそれを解決することを生業とする猫がいた。猫の探偵だ。その内の一匹であるところの黒い雄猫が、あまり金にならない上に後味の悪い仕事を終えて、行きつけのバーにやってきた。この辺では彼しか食べないマイナーな種類の猫草をいつも置いていてくれるので、彼はこの店が気に入っていた。襟の毛が長いバーテンダーの雌猫は、彼が座っただけでその猫草を出してくれる。彼は酒はそれほど飲まないが、猫草を齧りながら、グラス一杯の酒をゆっくり飲むのが好きだった。

「やあ…だいぶ疲れたよ」
「そう…じゃあほどほどがいいかもね」
「そうだね」

 猫草の苦みが、疲れをぼんやりさせていくのを感じる。よほど疲れていたのだろうか、グラスが置かれたコースターを、つい何度か、前脚で踏むような動作をしてしまっていた。

「あら、子猫みたいね?」
「…ついね。でも、この街じゃ親の顔も知らないような奴は珍しくないだろ? 俺もその一匹だよ」
「そうね…私も時々、甘えたくなるもの」
「人がいればって思うことはある?」
「あるけど…ないものねだりをしても仕方がないしね」
「…他のやつには内緒にしてくれるかい?」
「もちろん。人は秘密を大事にしてたんでしょ?」
「だから俺の仕事もなくならないのかもね」

 親の顔も知らなければ、かつて無制限に愛を注いでくれたという人の顔も知らない。だが彼ら彼女らは、猫の、猫だけの世界を生きていかなければいけない。人が愛したこの世界を。

「ほんとに言わないでくれよ」
「はいはい。たまには猫草以外も注文してくれたらね」

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