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CRYAMY わたし CRYAMY

 孤独に弱くなっていって、意識を何かしらの媒体でシャットアウトしてしまうことが多くなり、文章を書くことが出来なくなった。時間はあるはずなのに本が読めない、文字が書けない。薄らとした焦りを持ちながら生きている。何となく悲しい。

CRYAMYの野音を見に行った。CRYAMYは生きることをずっと肯定も否定もされず歌っていた。ありえない声量で、轟音のギターで、訳の分からないグルーブと重低音で。ライブは生の押し付けであったけれど、それを不快には感じなかった。自力で肉体や精神に向き合うことの出来ない人間は無意識にさまよって、きっとあの場所で向き合う口実を貰ったのだと思った。

長生きして下さい。という約束。

長生きという言葉は不明確で、けれど個人のなかで咀嚼されて残っていく感じがした。

私は、あなたは生きていてね、という言葉を発語するときに自身の生を確証できるのだろうか。私は今、綱渡りのようなバランスで渡されたバトンを持っていて、そのバトンを渡すことが出来なかったような感覚になっている。私に出来ることは、次に会った時に絶対にこのバトンを返すから、だから必ずまた会わせて下さい。という気持ちを精一杯込めてバトンを掲げることだけだ。いつになるか分からない「次」まで大切に、大切に、見えるように持ち続けなきゃ。

暗くなっていく日比谷音楽堂の中で、どんどん輝きを増して閃光に近づいていったCRYAMYのことがまだ焼き付いて離れない。わたしはまだ生きなければいけないから、どうかまた会いましょう。

サポート宜しければお願いします、おそらく本を購入します