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『ライフイズビューティフル』って曲なんだけど…

『ライフイズビューティフル』って曲なんだけど…

もうここまでブログを読んでいただいたらお分かりだろう。この曲もただ「人生は美しい!」と歌うだけの一筋縄に収まるような曲ではない。
『なにがどうなってここに立ってるんだ 時々我に返って首をかしげるんだ 歌うのが好きな少年だった だけどそれを誰にもいえない気弱な子だった』冒頭は幼少期の振り返りから入る。経験則から申すと、秋田氏が幼少、故郷、人生について歌う曲は特に私好みなだ。そして私自身ふと山手線に乗りながら「どうして私は東京に出てきたのだろうか、なぜ今電車に揺られているのだろうか」とたまに考えたりする。秋田氏は気弱な少年だったのか,,ああ、愛しきよヤング秋田氏。『わいは今も歌っているんだ 暗い歌ばっか歌いやがってと人は言うが ぜってえまけねえって気持ちだけで 今までここまでやってきたんだ』なんだとこの野郎。秋田氏に「暗い歌ばっか歌いやがって」なんて言うやつがいるのか。そいつはまったく本質を見抜いていない。なぜ暗い歌を歌うのか。誰のために歌うのか。ディスるのは褒めるよりよっぽど簡単だ。そしてヘイトとは無知から生まれる。アンチは決まって表面上しか知らないから叩ける。そんなアンチも身近な人間ほどよく知っているし情をを抱いているから叩けないはずだ。逆に深くまでディグってヘイトするやつ、それは最早ファンだ。ぜってえ負けねえって気持ち。多分その気持ちがなければ私もamazarashiの楽曲に出会うことはなかっただろう。自分のためにしていたことが、気づいたら誰かのためになっている。表現とは得てしてそういうものなのかもしれない。

『あっけなく命や夢が消える星で ありふれたよくある悲しい話 そんなもんに飽きもせず泣き笑い 人生は美しい』ただきれいなものを愛でるだけがすることだけが美しさじゃないと教えてくれる。泥団子のような美しさを感じさせる人生。時に苦しみ、夢を逃し、大切なものを失うが生きる希望を忘れない、そんな複雑な生に秋田氏は「美しい」という言葉を送る。『一つを手に入れて一つを失くして いつも足りないってなにか足りないって泣いている だけど後悔なんてしてやるものか 人生は美しい』何とか踏みとどまって自分に「人生は美しい」と催眠をかけているようにも取れる。しかしこれだけ打ちのめされても「美しい」と言える人生は、きっと我々が思っている以上に捨てきれない愛おしさを内包していて、泣き笑いすべての現象が美しさには必要なのだ。どれも欠けてはならない。だから秋田氏は「後悔なんてしてやるものか」というのだろう。

『いつもの居酒屋ではしゃぎすぎた 始発で帰る馬鹿達を太陽が照らした 「俺らの夜明けがやってきたんだ」誰かが言った 頭は痛いが妙に笑えた』ここは最高だ!こうしてなんでもない日常を切り取り、「ライフイズビューティフル」という壮大な命題に落とし込む。意識しなければ流れていく時間をあえて曲にする。彼は音楽をこうやって使うのだ。その後の『けどな これだけは絶対言える 俺らの夜明けはもうすぐそこだ』とあの時笑い飛ばした言葉が、半ば本気で言える日がきたという繋ぎもユーモアに富んでいる。
『信じた人や物が過ぎ去る街で ありふれたどこにでもある悔し涙 そんなもんに未だに突き動かされる 人生は美しい』まじでわかる。だがわかるだけじゃ終わらせたくない。なぜ私はそんなものに心を動かされるのか。自分はそんな単純な構造をしているのかと半ば呆れながらも「これが人生かあ」なんて言ったりする。20数年地に足をつけているにも拘らず、悔し涙後時に食らってしまう自分は情けない反面、逆説的に人生を眼前に提示させられているようなものだ。『ファミレスで喧嘩した時のあいつが 電車に向かって手を振り続けていた』このエピソードに勝利や絶望のような命題があるわけではないが、あえてこのようなストーリーをもってして秋田氏は人生の美しさを提示する。そして私たちは全く違和感を抱かないのだ。
『東京 青森 ライブ 路上ハウス きっと場所なんてどこでもよかった 歌う場所はどこでもいいぜ 歌う歌がわいの歌なら』本当の音楽は場所を選ばない。それは真実だ。東京で歌おうが青森で歌おうがamazarashiの歌に変わりない。しかしこの気づきを自分のものにするためには相当きつい経験が必要だ。私たちも同じことが言える。上京して失敗し名残惜しみながらの里帰りするアーティストの卵や、友達の中では頼れるリーダーだが、会社では立場の無い彼、そんな人たちにきっと場所なんてどこでもいいと伝える。きっと自己表現の類にとってステージはどこでもよくて、「今どこにいるか」ではなく「自分が何をするか」が大事な本質なのかもしれない。私の体は思考は私だけのものであり、シンプルな話、それが私のものである限り外部環境に邪魔することはできないのだから。

『悔し涙振りほどいて叫んだ歌 大事なものは二度と離さないよ 振り向くな後ろには花も咲かねえ 人生は美しい』
一見なりふり構わず歌っているように見えるが、伝えるべき事は確実に捉えている。人生の美しさとは、「桜の美しさ」や「女性の美しさ」と違い、その必死さ、弱さ、汚さが付加価値となっている。
『じゃあなまたな 身体だけは気をつけろよ しっかり歩けよふらついてるぜ 見ろよもう朝日が昇ってきた 人生は美しい』
そして何気ない日常が人生に彩を添えるのも事実だ。この一文は自分に言っているのだろうか。一つ興味深いことだが、秋田氏はどの曲でも一貫して自分を裏切るようなことは絶対に言わない。秋田氏自身が弱い自分を何より信じており、大切にしている。その優しさが伝わるような一文だ。

改めてこの曲は「人生の美しさ」を表現するのではなく、より根幹に迫る部分「人生はなぜ美しいのか」を可視化した曲のように思える。

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