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『美しい思い出』って曲なんだけど…

『美しい思い出』って曲なんだけど…


タイトルに似合わず牙むき出し、最高の1曲だよね
前奏の「ピロン…ピロン...」という雫のようなピアノからもう堪らん。開始2秒で神曲認定試験合格!
さらに入りの『この世界に嘘しかないなら こんなに楽なことはないよな』という出だしから既に文化遺産の匂いがプンプンする。『たまに本当が混ざっているから 面倒くさいけど 信じてみるんだ』そうなんだよ。10回に1回あるかないかの「本当」がある故に、我々は疑ったり信じたりと妙に頭を使わされる。そして勝手に期待し、時に裏切られ「あー、またやっちまった」とか言いながら絶望する。面白いことに学習せずそれを何度も繰り返す。とはいえ、「本当」の存在が苦悩の要因だったとは、秋田氏のこの歌詞から得られた発見だ。
『辛いことや悲しいことは 時間が解決してくれるというけれど 嬉しいことや楽しいことも 少しずつ薄れてしまうよ』まさしくそうだ。不思議なもんで特につらいこと、悲しいことは忘れにくいため、むしろ楽しいことのほうが先に薄れてしまうかもしれない。なぜ私たちは楽しい思い出だけで生きていけないのだと悩んだことはないだろうか。私は大いにある。例えば彼女に振られたとき、彼女との旅行などいい思い出に先行して、振られた悲しみだけがずっっと付きまとう。ここまで聞いて私は悟る。この曲は単に思い出を語る曲ではなく、思い出という概念を解体していく曲なのだと。『ラブソング』と似たようなコンセプトかもしれない。

サビの完成度は秀逸だ。
『吉祥寺の街中手を繋いでみた青い空』『桟橋に座ってみた花火』『登校拒否 夏の夕暮れ』どれも外せない。これが秋田氏の技法part542、「未経験の既視感」だ。これは私が名付けたのだが、私自身、吉祥寺で青い空を見上げたことはないし、桟橋に座って花火を見たこともない。しかし妙に胸を締め付ける懐かしさや既視感を覚える。特にこの曲の歌詞は多用されてるのだが、秋田氏はこの曲以外でも「未経験の既視感」を多用している。既視感のレベルがもはや人外を超えている。人間の想像力では到底及ばない普遍の既視感を演出している。『飲み過ぎてゲロ吐いた中野の駅前』そんな情景行ったことも見たこともないが、生々しくかつ愛おしいこれらの美しい思い出は、まるで他人事のようには思えない。
『キラキラしてたあの子のピアス イライラする夏の思い出』の場面は頭韻を踏みつつ対比を表しているのだろうか。

2番はより底に潜っていく。『生きることと死んでしまうこと 考え出したら頭がおかしくなりそうだ 結局僕が抱えられる荷物は この両手に収まる分だけ』秋田氏を愛する理由の一つが、この小節のように、哲学チックな話題に踏み込みつつ、結局頭でっかちな意見を唱えないところだ。結局僕に抱えられる荷物はこれだけと、あくまで現実ベースで我々に近い考えをさらけ出してくれる。その弱さに人間味を見出し、私はamazarashiから、あくまで教示を求めているのではなく安寧を求めているのだなあと感じる。言ってしまえば下を見て安心するみたいな下世話な感情が揺さぶられているのかもしれない。

『あの子に手を引かれて病院へ向かう途中の長い坂』、『ナイフみたいな言葉 張り裂けたあの子の心 ジグソーパズル たりないひとかけら 美しい思い出』これらの叫ぶように畳みかける言葉の弾丸。あえて助詞を使わないことで一語一句が強調され語感もいい。ジグソーパズルという例えも確実に的を得ており、足りないひとかけらが美しい思い出だとしたら・・考えるだけで切ない。

『だったら失敗ばかりの僕等は 人より愛することが出来るはず だからほら思い出してみるんだよ 忘れたいこと 忘れたくないこと』忘れたいこと忘れたくないことを思い出すことで人をより愛する。ここでは「思い出の使い方」に触れている。今まで思い出の使い方まで歌詞にしたアーティストがいるだろうか。これは並々ならぬ思考と問いの末にたどり着いた思い出に対する一つの向き合い方、嫌いな思い出と付き合っていく一つの解法なのかもしれない。

『誰かに笑われている気がして外に出られなくなったこと あの子の家から帰る途中目白通りで見た朝焼け』秋田氏の経験談なのか。いや経験談でなかったとしたらあまりに生々しい。この曲のサビはすべて秋田氏の「美しい思い出」が並べられているのかもしれない。口からというより心から出る声に思わず集中して聞き入ってしまう。ここで出てくる『目白通り』『西新宿』というあまりにも具体的な地名が、如実に情景を描写する。
『いかないでいかないで蝉しぐれ』『才能あるのに死んでしまった仲間』『鍵をかけた部屋 闘っていたあの頃の僕』秋田氏…辛かったろう…。はー。この疾走感とともに綴られる、リアルタイムの如く語られる大嫌いな美しい思い出。誰しもが持つ日常の思い出のはずなのに秋田氏に語らせたらもはや芸術だ。おそらくこの記憶と向き合うために、過去を清算する機会がどこかで必要だったのだろう。『壊れた心壊れたギター ありがとうありがとう 大嫌いだよ美しい思い出』クライマックスで曲のボルテージが最高潮に達する。同時に聞き手の心臓もバウンスする。秋田氏はとうとう美しい思い出を克服した。「壊れた心 壊れたギター」という表現が好きだ。私もいつか思い出を好きになることが出来るだろうか。思い出し言葉にする勇気。そこから滲み出る他人事とは思えない力強さが、私を鼓舞している。この曲は『夜に駆ける』のように、一貫したストーリーを組まれているわけではないが、なぜか短編映画をみたような爽快感がある。秋田氏が思い出との向き合い方を模索する過程を共に過ごしているような感覚だ。この爽快感がまたamazarashiの特徴なのだろう。とにかくこの曲は暗い。自分の過去や思い出と向き合えない人がペルソナだ。つまり私のための曲だと言わせてくれ。

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