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アンバ茶園 ソーシャルサステナビリティで切り拓くスリランカ紅茶産業の未来

2週間のスリランカ旅行9日目、ウバ州にあるアンバ茶園へ行き、2泊してきました。
アンバ茶園は高品質なお茶とソーシャルビジネスで話題を呼び、お茶の生産や販売等の関係者もこぞって訪れているようで、私も本や講演会からその存在を知りました。

敷地内に宿泊施設もあり、有機栽培の野菜やフルーツで作られるおいしい食事をいただくこともできる、オーガニックファームステイができる場所としても人気です。

紅茶に関わる仕事をしているので、このスリランカ旅行で紅茶のことをもっと知りたいという気持ちがありました。

しかし、ここに来るまでの8日間で私が触れることができたのは、観光客向けに非常に高価に販売されている茶葉や、流れるように淡々と決まった語句で説明される大規模製茶工場の見学など…
観光客なのでアクセスできる情報が限られるのは当然かとは思いますが、なんだか想像と違いました。

そして訪れたアンバ茶園では、これまでとは違う学びを得ることができたので、そのことを記録したいと思い、スリランカ滞在中に筆を取りました。

この記事は、アンバ茶園で毎日11時から行われているティーファクトリーツアーにおいてプロダクションマネージャーの方から聞かせていただいたお話を中心に構成しています。
その他施設に置かれている資料も参考にしました。

スリランカが紅茶大国になるまで

紅茶=イギリス?

お茶の生産はどこで始まり、いつ大量消費されるようになったのか?
スリランカ人はどのようにして、紅茶製造のノウハウを学んだのか?
そんな問いかけからお話が始まります。

お茶の発祥は中国から。
当初はモンゴルや中東と交易があったようです。

遣唐使がお茶の情報を日本に持ち帰ったのが8-9世紀頃。
実際には、日本におけるお茶の生産は国内での消費のために発展したようですが、お茶の唯一の生産国でなくなることに危機感を持った中国はヨーロッパ市場の獲得に乗り出します。

まずパートナーとなったのがポルトガル。
航海技術の優れたポルトガルを頼りに、ヨーロッパ市場の開拓を目指すも、ポルトガルはマーケティングが得意ではなかったそう。
次にオランダ。
この頃お茶の需要はそう多くなかったようですが、先方が求めるスパイスを販売する見返りに、お茶の購入を求めます。

16-17世紀頃、ゲームチェンジャー・イギリスが現れます。
イギリスでは紅茶がコーヒーに代わって代表的な嗜好飲料として定着するようになり、需要の拡大に伴って中国との直接取引に乗り出します。

そこから「唯一の生産国中国」と「大量消費国イギリス」の間に起こる貿易摩擦については一部割愛しますが、アヘン戦争や香港の植民地化などもお茶が要因であったことを考えると、その影響力の大きさには驚かされます。

両国の関係が悪化した結果、イギリスには質の悪い茶葉が送られるようになり、お砂糖やミルクを入れるようになったのはそのためだとか。
(マネージャーさん曰く、紅茶に砂糖ミルクを入れるなんて、寿司にケチャップをかけるようなものだ!そうです。本来の味や香りが消えてしまうから、という意味合いだったけど、例えが秀逸だったのでメモ✍️)

英「もう紅茶作っちゃおう」

19世紀、イギリスはインドを植民地化し、ついに自ら生産を手がけることを目指します。
しかし、お茶の製法は何千年もかけて中国に守られてきたトップシークレット。
植物学者を中国に送り込み、9年かけて情報を引き出します。
そして気づく。
紅茶も緑茶も烏龍茶も同じ茶樹から作られていたのか、、、!
その頃、インドのアッサム地方で自生の茶樹が発見され、後に中国種とは別のアッサム種であることが分かるそうですが、これらの発見により、中国種とアッサム種との交配が進み、インドやスリランカでのお茶の栽培が広がっていったということです。
参考:伊藤園 お茶の歴史

中国と気候が似ていることから、最初に栽培が始まったのはダージリン地方。
大規模機械生産を前面に打ち出し、中国に対抗するお茶の生産を開始しました。

更なる生産力アップのために、お茶の歴史にようやくスリランカが登場します。

お茶パラダイスと奴隷労働

それまでスリランカではコーヒー栽培が盛んでしたが、サビ病の蔓延により壊滅的な被害を受け、お茶の生産に転換していきます。
その気候と地形から、スリランカでは年中お茶が収穫できることに気付きます。
パラダイスやないかい

お茶の生産は労働集約産業。
特に、茶摘みの工程は現在でも90%以上が手摘みで行われていることからも分かるように、機械への置き換えが難しいそう。
労働力は、主に南インドからの移民によって支えられました。
両親が製茶産業に従事していると、娘は母の仕事をするようになり、息子は父の仕事をするようになります。
教育を受ける機会がなければ、職業を選ぶすべもなく、構造的に親子代々に続く奴隷労働の仕組みが出来上がっていきます。
労働力を得ることには成功しても、人の本来の幸せからはかけ離れた環境です。

スリランカ独立と紅茶産業の衰退

転機となったのはスリランカのイギリスからの独立。
労働の主力であった移住者もスリランカ国籍を得られるようになり、無償教育が受けられるようになりました。
現在スリランカの識字率は90%を超え、教育レベルの向上は仕事の選択肢をもたらしました。
海外に出稼ぎに行く人もいます。

一方、製茶工場では100年前のイギリスの機械が使われており、環境は変わっておらず、若者のつきたい職業ではなくなっていったといいます。
そして、それがお茶の生産量低下の要因でもあると。

かつて最大の生産国であったスリランカは、中国、インド、ケニアなどに抜かれ、ランクを下げています。

労働の担い手が減る本当の理由

①低賃金
教育レベルが低い人でもつきたがない理由の一つは、賃金の低さ。
1日8時間 、太陽の下で20kgもの茶葉を摘んでも、日給は3ドル。
ノルマがあって体力的にきつい上に、収入が少ないのでは割りに合いませんね。

それでは、高い賃金を払えば、労働者を確保できるのか。

②尊厳の欠如
たとえ高収入を得られるとしても、従来の労働環境で働きたいと思う人はいるのでしょうか。
これまでの経緯から、茶摘みは奴隷の仕事という固定概念が染み付いているようで、親は子供が茶摘みに従事することを嫌がるということもあり、若い労働者を雇うことは困難です。
確かに、訪れた茶畑で見かけたのはほとんど高齢の女性ばかり。
それでは、今働いている人たちの世代がいなくなってしまった後は、スリランカの紅茶産業はどうなるのでしょう?

そのような課題に向き合い、紅茶の未来を切り拓こうとしているのがアンバ茶園です。
長すぎる前置きでしたが、現地で説明を受けた時もこのボリュームで、この前提があってこそ、アンバ茶園の活動への理解が深まります。

アンバ茶園のミッション

アンバ茶園の創業者は多国籍な4名。
元はコンサルティングファームに在籍し、スリランカ政府に対する紅茶産業の戦略提案を行ったメンバーが、その戦略を実行に移すため、土地を探して購入し、2006年にスタートしたのだそう。
詳しくはこちら:スパイスアップ

投資先として選ばれたのが、今回訪れた場所。
スリランカの中でも、賃金、教育レベル共に低水準の場所だそう。
アンバ茶園が位置するウバ州は、世界3大銘茶の一つに数えられるウバの生産地でもあります。
周りの景色は、溢れんばかりの緑。
観光客に人気のエッラから車で45分の山奥にありました。
夜は真っ暗です。
アンバ茶園に行く目的がなければ、絶対に来ていなかったような場所です。

そんな自然に囲まれた場所で、アンバ茶園が目指していること。

①コミュニティ開発

地域に訪問者をもたらすこと、高品質な製品を輸出することにより、地域住民の経済的な機会を増やすこと。
雇用を創出し、地域にある資源を活用することでビジネスを成り立たせること。
教育や医療の面でもサポートすること。

②環境保全

経済活動による環境負荷を最小限に抑えることに努め、従来の住環境や生態系を保護すること。

③メンタルウェルビーイングの促進

精神疾患を患う女性のための回復施設とのパートナーシップにおいて、アンバ製品への参画機会を提供することにより、施設に対する認知及び資金的援助の確保の機会を支援すること。

高品質なお茶作り

そのようなアンバ茶園の活動を、お茶の製造を通じて見学させていただきました。
今回案内してくださった方は、元はお茶の専門家ではなく、社会学の観点から人々の生活の質の向上について研究されていた方。
そんな、お茶の製造については素人という方々が集まり、高品質な製品を作るために選んだ道は、大量生産をする国の製品と同じ土俵では戦わないこと。
今もこの先も、スリランカで安い労働力を大量に確保することは困難です。
量ではなく質で勝負すること。
小規模生産だからこそできる、付加価値の創出に目を付けました。

茶畑がある場所から見える景色
乾燥した空気と湿気を含む空気が交差する、茶葉栽培に適した環境だそう。

製品の質

独自に開発したトレーサビリティシステムにより、生産工程に関わるあらゆる記録を管理しているそうです。
同じ茶園で同じ時期に収穫したお茶でも、まったく同じ味になるとは限りません。
茶畑を区画分けし、生産に関わったスタッフを記録し、商品開発に繋がる品質管理が行われています。
このような管理も、生産量が少ないからこそできることだとおっしゃっていました。

ストーリーの質

オーガニック栽培にこだわり、環境保全に取り組む生産者として、製品のストーリーの質を高めています。

職人の質

製品が売れるだけでは、地域社会が豊かになったとは言い切れません。
働く人に敬意を払い、大事にすることによって、ソーシャルサステナビリティの実現を目指しています。
お茶の製造に関わる人を、単純労働者ではなく、職人として育てていく仕組みがあります。
茶摘みだけでなく全ての生産工程を経験し、一通り紅茶の生産に携わった後は、
緑茶、ウーロン茶、ホワイトティーの生産に関わることができるようになるなど、明確なステップがあります。
経験を積み、職人として認められると、売り上げの10%が還元されるようになるため、更に製品の質も上がる、といった好循環を生み出しているということでした。

製品紹介

製造工程の見学の後、テイスティングもさせていただきました。
いただいた7種類を右から順番に。

ホワイトティー
新芽の蕾が25本ほどきゅっと結ばれていて、見て楽しい飲んでおいしいお茶。
紅茶よりカフェインが少ないので、お土産にも買いました。

グリーンティー
世界的な品評会で1位を受賞されたものだとか。
年間を通じて日照時間が長いスリランカでは、茶葉のポリフェノールが多くなるため、本来は紅茶製造に向いているそう。
しかし、アンバ茶園では茶樹の周りに背の高い他の木を植えて、自然のシェードを作ることで日光のあたりかたをコントロールされているそうです。恐れ入ります。
日本式と中国式と2種類の製法で製造されているそうで、日本の方を買いました。

ウーロン茶
こちらもスリランカでは珍しいお茶。
ちょっと、おいしかったことしか覚えてない。

手もみのブラックティー
高品質なお茶を作る上で、一芯二葉という言葉があり、先端のまだ開いていない芽の状態の部分から、その下の2枚までの柔らかい葉だけを摘むということを指します。
ところが、アンバ茶園のハンドロール紅茶で使うのは一芯一葉。
うまみがぎゅっと詰まっているはず。

イリーガルティー
商品名ではないけど、こう呼ばれていた紅茶。
かつて、茶摘み労働に従事していた方々が、過酷な労働の中でひっそりと茶葉をポッケナイナイし、家庭にある道具でできる製造方法で作って楽しんだお茶。
茶葉を盗むのはイリーガルということで、イギリス人がこう呼んだものを、製造方法を再現して商品にしているのはとてもユニークです。

スパイスティー
2枚目以降の茶葉は、手もみではなく機械製造の茶葉に使うそう。
機械製造とはいえ大規模なものではなく、小規模生産に合わせてオーダーしたミニロール機だそう。
フレイバーティーにも機械製造の茶葉を使うようです。
スリランカではベルガモットが採れないため、アールグレイはオレンジで香り付しているそう。

レモングラスバタフライピー
色変わるやつ。

コーヒーもあります

併設のショップ

パッケージは施設の女性が作ったものも

ツアーの終盤で、スリランカに来てからの疑問を投げかけてみました。
「スリランカの良質な紅茶は、オークションを通して輸出されていくから、国内には高品質な茶葉は少ないのでしょうか?観光客が集まる場所では高価なものが売られてますが…」
以下、回答。
アンバ茶園で作られたお茶も、90%はオークションに出している。
10%は敷地内のショップで販売しており、こちらの価格設定は安め。
訪問してもらった人に買ってもらい、持ち帰って、宣伝してもらうため。
オークションに出す90%は利益を出さなければならないが、ショップの商品では利益を追求しない。ということです。

え、天才、、?
他の地域で訪れた製茶工場のショップでは、高価な茶葉ばかり売っていて、なかなかお土産にしようとは思えなかった。
もちろん特別おいしければ高価でも買うと思うけど、一杯の紅茶を飲んだだけで、観光客がその特別さを感じ取って、日本で買うよりも高い価格で、これを買おう!と思えるでしょうか?
もちろん私も舌には自信はないし、「飲んでおいしいから買う」っていう衝動よりは、商品の背景にあるストーリーに惹かれて購買意欲が掻き立てられたっていうのが大きかったです。
気付いたらたくさん買っていました。
(もちろん味もおいしいです)

ただモノを買うっていうよりも、その商品のことをよく知って選ぶっていう消費行動への訴求力が素晴らしくて、時代に合ったビジネスモデルとして、本当に面白いお話を聞かせていただきました。

宿泊施設として

星5つ!★★★★★
建物がいくつかあって、一棟の部屋数は4部屋くらいありました。私が借りた部屋はシャワーバス共用。

ベッド2台だけの部屋
蚊帳とタオル付き

予約ページでは、家族やグループで一棟丸々借りるのがおすすめ!と書いてあったのですが、私たちは2人だけですし部屋借りにしたら、たまたま他のゲストがいなくて実質一棟借りの状態になりまして。

共用スペース

その一棟にスタッフの方が1人ついてくれていて、常に気にかけてくれます。
食事や清掃を担当する他のスタッフの方もいらっしゃって、5名くらいのスタッフの方にお世話になりながら過ごします。
朝食は宿泊代に含まれていて、頼めば昼食も夕食もいただけます。
宿泊する部屋がある建物のダイニングで。


商品にもあるおいしいジャムたち

パンプキンスープ
フレッシュココナッツサンボル

食べきれないほどのカレー

これが最高においしいんです。
そして自然に囲まれた地域内でトレッキングをしたり、珍しい動物の登場に驚いたり、ハンモックに揺られたり、共用スペースのソファで静かに読書したりできるのです。
天国なのです。
自分の家にお手伝いさんがいてくれて、毎食おいしい食事を作ってくれる感じです。
こんな贅沢な経験初めてでした。
お姫様になったのかと思いました。

ちなみに費用は1泊60ドル、昼食5ドル、夕食10ドル、ティーテイスティング5ドル、てな感じでした。
(宿泊費は部屋により異なります。支払いはスリランカルピー建でした。クレジットカード可。)

こんなところに長くいてはいけません。
できれば3泊以上をおすすめします。(矛盾)

そのスタッフの方が、駅との往復やエッラへの1dayトリップのドライバーさんを手配してくれました。
みなさん大体お友達の地域住民の方です。
そういう繋がりで仕事が生まれてるのであれば、本当にいいことだと感じます。

こういうことを日本でやろうとすると、まず想像されるのは地域住民の反対ではないですか?
よそ者に来てもらいたくないってやつです。
私が話を聞かせてもらったのはアンバ側の方なので、すべての活動が本当に地域住民のエンパワメントに繋がっていて、誰もが満足しているか、ということは知る由もないですが、トレッキング中に道に迷って色んな人に道を聞いた時、「Amba」と言えばわかってもらえたし、誰一人嫌な顔をせず親切にしてくれました。

経済活動と地域社会との共存の、一つの形が確かにそこにありました。

ちなみに
アクセスはHeelOya駅からがおすすめ。
駅からアンバ茶園までトゥクトゥクで30分ほど。
移動手段はアンバの方に手配してもらうのが無難です。
2000ルピーほどで対応してくれます。
ただし、HeelOya駅に停車しない列車もあるのでご注意下さい。
念のため、事前にアンバの方に聞いて確認しました。
鉄道のオンライン予約サイトではHeelOya駅の表示が見つけられなかったので、発着ともElla駅にして購入しました。
(HeelOya駅はバドゥッラ行きの列車で、Ella駅の2つ手前の駅です。)
どちらもHeelOya駅に停まるものでよかったです。

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