アルプス処理水の放出に関して伝えられること


1. アルプス処理水放出の意義と目的

 2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う東京電力HD福島第一原子力発電所事故から、福島県内の被災地域が復興するためには、放射性物質が拡散した敷地周辺の除染と除染廃棄物の処理のみならず、発電所の廃炉をできるだけ早期に成し遂げ、プラントエリアのリスクを早期に除去することで、その敷地を開放して次世代の活用につなげることが必要です。

 発電所敷地内には常に地下水・雨水が流入し続けており、損傷した炉心燃料に触れることで放射性物質に汚染されます。汚染された水は浄化処理され保管されることとなりますが、処理水を貯蔵するタンクは既に1000基を超え[1]ており、発電所敷地内のタンクの設置に割ける面積はすでに限界です。設置されたタンクの保管量は2023年2月の報道[2]で96%とされ、敷地外への早急な放出を実施しなければ肝心の廃炉作業に影響を及ぼすところでした。

 また、周辺地域へ与えるリスクという点ではプラントの廃炉が進まず、損傷した燃料が存在し続けてしまうということが第一。それだけでなく、後述する“基準値“を超える放射性物質が保管されたタンクが存在し続けることも、一つのリスクであるので可能な限り早期に処理水の放出を行いタンクを減らしていくことが地域の安全性向上につながります。

2. 汚染水が処理水となるまで

 福島第一原子力発電所には現在でも日々雨水から由来する地下水が、原子炉建屋内に流れ込んでおり、汚染水は流入した地下水の量だけ新たに発生しています。

図 1 福島第一原子力発電所における原子炉建屋内の汚染水の状況[3]



 汚染水への対策としては主に3つあり、①「汚染源に水を近づけない」ために、凍らせた土の壁を地中に設置したり、原子炉建屋の手前でサブドレンと呼ばれる井戸で水を汲みだしています。これらの効果によって、陸側から流入する地下水を約20%まで削減できますが、それでも日々110tの水が流れ込んできています。

図 2 三つの基本方針に基づく汚染水対策イメージ

②「汚染源を取り除く」ために使用するのが「アルプス(advanced liquid processing system)」であり多核種除去設備の略称で、水中に含まれる多種類の放射性物質を取り除くことができる設備です。ほとんどの放射性物質はフィルターで”こしとる”ことができますが、トリチウム「T」だけは、水の分子構造H=O=Hのうちの「H」の部分と入れ替わって存在するため、水と同じ性質と示すこととなり化学的に除去することができません。H=O=Hの水とT=O=Hの水を分離することは非常に困難なのです。

③「汚染水を漏らさない」ためには、処理水がタンクから漏えいするのを防ぐため、漏えいのリスクが低い型のタンクを使用しています。

3. 放射線による被ばく

 そもそも放射線とは、原子核の崩壊に伴ってその内部から放出されるエネルギーのことであり、放射線を出す能力のことを放射能といいます。放射線を出す能力をもった物質のことを放射性物質といい、懐中電灯にたとえると懐中電灯=放射性物質、懐中電灯から出る光=放射線、懐中電灯の光の強さ=放射能の強さとなります。


図3 放射線と放射能[4](原子力エネルギー図面集)


 人体が放射線を浴びることを被ばくと呼び、放射性物質が混入した水や食品などを体内に取り込むと、人の体内から放射線を受け続けることとなります。これを「内部被ばく」と呼びます。対義語は「外部被ばく」です。

図4 外部被ばくと内部被ばく


 

 私たちは日常生活を送る上で自然界から受ける自然放射線を受けています。放射線から受ける影響の“度合い”を数字化したものを「シーベルト」という単位で表しますが、自然放射線により世界の平均的な人間は年間2.4ミリシーベルトの被ばくを受けています。それ以外にも、医療サービスを受ける際に、レントゲン写真やCTスキャンなど人工的に作り出した放射線を受けています。

図5 日常生活と放射線

 放射線の被ばくによる人体への影響のあり方には「確定的影響」と「確率的影響」があります。 確定的影響は、「一定量の放射線を受けると影響が現れる」現象をいい、受けた放射線の量が多くなるほど、その影響度(障害)も大きくなります。確定的影響は、数多くの細胞が放射線によって傷ついたときに生じ、毛が抜けたり、白内障 になったりという障害が発生しますが、放射線を受ける量を一定量(しきい値)以下に抑えることで防ぐことができます。

 一方、確率的影響は、一定量の放射線を受けたとしても必ずしも影響が現れるわけではなく「放射線を受ける量が多くなるほど影響が現れる確率が高まる」現象をいいます。確率的影響は、しきい値がないと仮定する影響のことでガンや 白血病がありますが、放射線の量が多くなったからといって、症状が重くなるわけではありません。 放射線防護の原則は、しきい値のある確定的影響はそれ以下で、しきい値はないと仮定する確率的影響は容認できるレベル以下で線量を管理することとしています。

図6 放射線による人体への影響[5]


 「確定的影響」については、脱毛や造血機能の低下、不妊等さまざまありますが、比較的低い線量で発生するのはリンパ球の減少でありそのしきい値は250ミリシーベルトです。

 「確率的影響」については、上述のとおりしきい値はないとされていますが、主に広島・長崎の原爆被爆者、原子力や医療従事者集団の疫学調査の結果から、およそ100ミリシーベルトを超えると、がん死亡率が増加することが確認され、それ以下の被ばく線量では、喫煙・飲食その他の生活習慣の影響に比べて放射線の影響による有意な発がん率の上昇を確認することは極めて困難とされています。

4. 法令による線量限度・基準値とは

 福島第一原子力発電所を含めた国内の原子力施設は、法令によりその周囲に住む公衆に対して放射線の影響を、一年間で1ミリシーベルトを超えないようにしなければないとされています。これは上記の確定的影響のしきい値、確率的影響の発生が確認されるレベルから十分小さい値になっています。

 水等の液体を発電所の敷地外に放出する場合は、この1ミリシーベルトに相当する値として各放射性物質の濃度が基準値として定められており、例えばトリチウムの場合は告示別表第一の第6欄から1立方センチメートル当たり60ベクレル=1リットル当たり60,000ベクレルが基準となります。この基準値を告示濃度と呼ぶこともあります。

図7 法令
(核原料物質又は核燃料物質の精練に関する規則等に基づく線量限度を定める告示)抜粋

 告示濃度は放出する水を毎日1年間飲み続けた場合に年間1ミリシーベルトの被ばくをする濃度ですので、実際は魚等の海産物を経由して食物として取り込むことになると考えれば十分“厳しめ”の数字になっていると言えるでしょう。このことを安全側と言います。

 複数の種類の放射性物質を含む場合、すべての放射性物質の影響を総合しても、年間線量限度を守れるようにしなければなりません。具体的には「告示濃度との比」の「総和」を計算して1を超えないようにします。

 ここで改めてトリチウムの特徴について述べます。和名で三重水素と呼ばれるこの放射性物質は水素の仲間(同位体)です。水素と聞くと、原子核の陽子一つの周りを電子が回っている「軽水素」を想像される方が多いでしょう。水素の仲間には、原子核が陽子一つと中性子一つで構成される「重水素」、そして原子核が陽子一つと中性子二つで構成される「三重水素」の「トリチウム」があります。

図8 水素の仲間(同位体)[3]

 トリチウムは、原子力発電所を運転することで発生しますが、自然界でも大気中の窒素や酸素と宇宙線が反応することで生成されています。水分子を構成する水素として存在するものが多いことから、トリチウムは大気中の水蒸気、雨水、海水だけでなく、水道水にも含まれています。

 軽水素や重水素は安定な同位体で放射線は出しませんが、トリチウムは半減期(元の原子核の数が半分になる時間)が12.3年の放射能を持ちます。放出するのは比較的低いエネルギーのこのβ線(放射線の種類の一つ。電子のこと)であるため紙一枚で遮ることができるほど弱く、外部から被ばくしても人体への影響はほとんどありません。また、水として飲んだ場合でも、特定の臓器に蓄積することはなく、他の放射性物質と比べて速やかに体外に排出されます。そのため、内部からの被ばくの影響も、取り込んだ放射能あたりで見れば他の放射性物質よりも小さくなっています。

 トリチウムはこれまでも、原子力発電所等からも通常運転に伴って放出されており、例えば、昨年度通常運転中であった九州電力川内原子力発電所からは一年間で19兆ベクレルの液体トリチウムが放出されました[6]。世界では再処理工場や加圧水型原子炉を多く設置している発電所からは特に多くのトリチウムが放出されています。原子力発電が産業化されて以降既に半世紀以上が立ちますが、これらの通常施設からの放出トリチウムによる健康被害は確認されていません。

図9 世界の原子力施設からのトリチウム放出量[7]

5. 東京電力福島第一原子力発電所からのアルプス処理水放出設備と影響評価

 図10に示したものが東京電力HDが原子力規制委員会に設置を申請したアルプス処理水希釈放出設備の概要図です。最上段のタンクで処理水の保管、測定、確認を行い、測定結果に問題がなければ緑の枠から青の枠にかけて配管、ポンプを使って放水口移送を行い、その途中で大量の海水を配管に注水することで処理水の濃度を十分に薄めます。放水トンネルは沖合1kmの地点まで設置されています。放出中になにかしらトラブルが発生した場合は緊急遮断弁を用いて即座に放出が止められる設計になっています。

図10 アルプス処理水希釈放出設備

 提出された実施計画変更申請書の記載によれば、申請の対象になっている3つタンク群のトリチウム以外の放射性物質の告示濃度比の総和は0.12~0.28でトリチウム以外の放射性物質が告示濃度を上回ることはなかったとのことです[8]。注意すべきなのはアルプス処理を行ってもトリチウム以外の放射性物質がゼロになることはなく、十分低い値にまで低減されている、という点です。さらに、これらのタンク群にはトリチウムが告示濃度が6万ベクレル/Lに対して19万~80万ベクレル/L含有されており、これを告示濃度の40分の1である1500ベクレル/L以下まで薄めるという計画なので、海水中に放出する時点ではトリチウム以外の放射性物質の影響は考えなくてよいほどになるでしょう。

 トリチウムの放出は濃度だけでなく、年間の総量も規制するとしており、最大で22兆ベクレルとしています。

 東京電力ではこの条件をもとに、

・年間120日従事する漁業者想定した海水面、船体および漁網からの外部被ばく

・年間500時間滞在する遊泳者が海水面、砂浜面からの外部被ばく並びに海水飲水及び水しぶき飲水による内部被ばく

・魚類、貝類、海藻類を毎日数十g~百g程度接種する人が、この放出水を取り込んだ海産物を食べ続けた場合の内部被ばく

の3パターンで放射線被ばく線量を計算して評価した結果が示されてて、成人で、1年あたり0.000002(2E-06)~0.00002(2E-05)ミリシーベルト、乳児の場合では1年あたり0.000001(1.0E-06)ミリシーベルト~0.000012(1.2E-05)ミリシーベルトと非常に低い値になったとしています。この評価結果は国際原子力機関IAEAの報告書でも引用され、妥当な結果であると認められています。


6. 実測定結果

 2023年8月24日午後よりアルプス処理水の海洋放出が開始されました。この放出水モニタリング結果が公表されたのでここまでの設計上の評価条件との比較を行ってみます。

 6月22日に公開された事前分析結果によれば、アルプス処理水(希釈前)のトリチウム以外の放射性物質の告示濃度総和は0.28、トリチウム濃度は約14万ベクレル/Lでした。ここまでの測定結果は前章の計算が行われた前提条件と相違のないものと言えるでしょう。

 また、8月25日に公開された希釈後の上流海水排水管の放射能濃度は申請書の条件より十分の一程度に低く、かなり慎重に放出作業を行っていることが分かります。

表 8/24から放出された処理水濃度

 また、放出口付近の海水のモニタリングとして速報的に測定を行った結果が公表されました。いずれも1リットルあたり10ベクレルを下回っており、迅速測定では測定ができないほど低い値に希釈拡散されていることが確認されました。

7. 国外・SNS等での慎重な意見について

 ここからは、海外政府や、SNS等でこの放出に慎重な考えをもつ方々の意見について1問1答で筆者なりの考えを述べたいと思います。

①    放出水が安全だという人間が飲んで処理をすればよい。

⇒海水の塩分の問題を別にしたとしても、トリチウムの含まれる放出水を意図的に飲むべきではありません。健康影響が発生するようなレベルではないことは前述したとおりですが、国際放射線防護委員会ICRPは放射線による被ばくはその便益にみあった場合にのみ正当化されるという声明を出しており、無意味に処理水を飲むことは明らかに正当化がなされないためです。また、仮に人体を経由したとしても下水を通って環境中に放出されるという意味では本質的に変わらないだけでなく、正確な追跡モニタリングが不可能になります。

②    液体状で海洋に放出するのではなく、蒸発させ大気に放出するべきだ。

⇒トリチウムは前述のとおり水分子の一部として存在するため、蒸発させて水蒸気になって一時的に見えなくなったとしても消えてなくなるものではありません。
 蒸発による放出については過去、経済産業省の「トリチウム水タスクフォース」で議論がなされ平成28年6月にその成果が報告されています。[11]大量の水を加熱して蒸発させるには莫大な化石燃料資源とエネルギーを消費し、コストは海洋放出に比べて一桁以上上昇するとの結果が示され、また、最近の燃料高騰情勢を踏まえればさらに処分費用は跳ね上がるでしょう。海洋放出で十分な安全性が確保できる以上、蒸発という選択肢を取る意味はないと思われます。

③    トリチウム以外の放射性物質の考慮がなく危険だ。

⇒前述のとおり、トリチウム以外の放射性物質については希釈前の時点において告示濃度に比べて十分低いことを確認しており、さらに希釈して放出するため安全上問題のないレベルまで濃度は低減されています。

④    放射性物質の濃度ベクレル/Lだけでなく、その総量ベクレルを規制すべきだ。

⇒前述のとおり、東京電力の実施計画変更申請書について年間22兆ベクレルをという放射能量の制限を宣言しています。また、有害な物質を人体の影響のないレベルまで薄めて海洋等の環境中に放出処分することは放射性物質に限らず下水処理などあらゆる分野で取り入れられている考え方です。

⑤    食卓塩の安全性が心配だ。買い占めなければ。

⇒前述のとおり、今回の放出は人体の健康影響に対して十分な安全性が確保されています。さらに言うのであれば、トリチウムは水分子の一部として存在するので乾燥処理がなされた市販の塩製品にトリチウムが残留することはありません。



[1] https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/shirou_alps/no3/

[2] https://www.yomiuri.co.jp/science/20230210-OYT1T50116/

[3] https://www.mri.co.jp/knowledge/column/20180620.html

[4] https://www.ene100.jp/zumen/6-1-1

[5] https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h30kisoshiryo/h30kiso-03-01-04.html

[6] 川内原子力発電所の令和4年度下期放射線管理等報告書

[7] https://news.yahoo.co.jp/articles/7f8aa6a7fe5f8eae72523694f46a3a70bee2265e

[8] https://www.tepco.co.jp/press/release/2022/1664282_8712.html

[9] https://www.tepco.co.jp/decommission/data/analysis/pdf_csv/2023/2q/measurement_confirmation_230622-j.pdf

[10] https://www.tepco.co.jp/decommission/data/analysis/pdf_csv/2023/3q/discharge_vertical_shaft_seawater_pipe_measurement_230825-j.pdf

[11]
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/tritium_tusk/pdf/160603_01.pdf


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