見出し画像

#13 日本・トルコ友好秘話(時空を超えた恩返し)

 今からおよそ38年前の1985年3月17日、イラン・イラク戦争の最中でのことでした。(私は大学生でこのニュースをテレビで見て知っていました。)イラクのサダム・フセインが「今から48時間後に、イラン上空を飛ぶ飛行機をすべて打ち落とす」ということを世界に向かって発信したのです。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かいましたが、どの飛行機も自国民の救助が優先されました。

空港に向かった日本人はどうなったか?

 世界各国は自国民の救出をするための救援機をすぐにイランへ向けました。アメリカもイギリスもフランスもイラン在住の自国民を飛行機に乗せ、素早く本国へ戻ったのです。残念ながら日本政府はすばやい決定ができませんでした。それは、救出に行く人々の安全が確保できないという理由からでした。いつまで待っても自国の飛行機が訪れないことに空港にいた日本人は、パニックに陥ったと言われています。その日の日本の夕刊に「イラン在住日本人、国外脱出絶望」国内の日本人は誰もがみなイラン在住日本人の安否を心配しました。

 日本人を救う方法はないのか?


 こうして、もはや万事休すと思われた土壇場、翌20日の朝刊に

「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国/トルコ航空で215 人」

画像3
画像1
トルコ航空機

という朗報が載りました。何と日○航空とか、全○空などの日本の翼ではなくだれも予想だにしていなかった「トルコ航空機」がテへラン空港に乗り入れ、日本人215人を救出してくれたのでした。まさに間一髪でした。タイムリミットの、1時間15分前でした。新聞に掲載された写真には、無事脱出できた子どもたちを含む日本人家族の喜びの顔が写っていたのを今も覚えています。日本が本当に困っていた35年前に助けてくれたのは、日本の翼でもヨーロッパの国でもなく、アジアの西の端に位置するトルコだったのです。


なぜトルコ航空機は危険をおかしてまで日本人を救ったのか?


 なぜ、トルコ航空機が救出に来てくれたのか、最初、日本政府もマスコミもわかりませんでした。ある心ない日本のマスコミは、「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化していること」などが影響しているのではないかと勝手な的外れな理由を付けていました。これに対して、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語っています。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは少しも忘れていません。私も小学生の頃、歴史の教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事故を知っています。今の日本人のあなた方が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機を飛ばしたのです。」

エルトゥールル号の事故とは?

画像4
エルトゥールル号

 イラン・イラク戦争からさかのぼること95年前の1890年(明治23年)9月16日、トルコ皇帝ハミル二世(サルタン・ムハメッド五世)の命を受けて明治天皇にトルコ最高の名誉栄誉勲章奉呈のため派遣された特使オスマン・パジャ海軍少将一行を乗せたエルトゥールル(エルトグロル)号が、帰路、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し午後10時半ごろ沈没するという事故が起きました。

画像2
エルトゥールル号の遭難場所

  この事故で、乗員650名のうち特使を含む581名は死亡しましたが、死を免れた士官ハイダール以下69名は、大荒れの中、艦の破片にすがって約3時間漂流し、樫野崎(かしのざき)灯台下の鷹浦(たかうら)に命からがら上陸したのでした。
 そして灯台に助けを求めたのです。言葉が通じない上に混乱状態の中で、地元民の手厚い救護により、一命を取り留めることができました。乏しい大島の食料は遭難者のために一夜にして底をついてしまったといわれています。この時の台風により漁ができず、自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にもかかわらず、大島村民は各家に蓄えているさつまいもと、飼っているにわとりまでをよろこんで提供し、トルコ人に食べさせ介護しました。衣類もありったけの浴衣を出し合い急場をしのいだそうです。
 その後一週間にわたり村民総出で遭難者の捜索につとめ、アリーベ艦長ほか219名の遺体を引き上げ、ハイダール士官など生存者立ち会いのもと、遭難した船が真下に見える樫野崎の丘に手厚く埋葬しました。
 この事故は、和歌山県知事から明治天皇に伝えられました。その後生き残った69人の遭難者たちは、軍艦「金剛」「比叡」の2隻でトルコに送り届けられました。この時の日本人行いが、トルコでは未だに歴史の教科書に載っていて国民が日本への感謝の気持ちを忘れていないのです。
 イラン・イラク戦争の後、日本では緊急の場合に稼動できる政府専用機がやっと用意されるようになったのでした。またエルトゥールル号のことは平成27年からやっと日本の小学6年生の社会科の教科書に載るようになったのです。この事実は2015年に「海難1890」のタイトルで映画化されました。

 自分たちの先祖が日本に世話になったことを代々伝えてきて、95年の歳月を越えて日本人へ恩返しをしたことがすごいことです。私たちも大切なことを忘れずにしっかり受け継いでいかなくてはいけませんね。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。



よろしければサポートをお願いします。これからもみなさんに読んでいただきよかったと思っていただけたり、お互い励まし合い、元気が出る記事が書けるよう有効に使わせていただきます。