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#41 「非まじめ」のすすめ

 まず「非まじめ」とは決して「不まじめ」ということではありません。誤解しないように。『非まじめのすすめ』という本があります。作者は工学博士の森政弘・東京工業大学名誉教授です。主な内容は以下の通り。

 今の世の中、日本経済は「成熟期」に入っているのに、未だに「成長」を夢見ているから過労死が減らない。政治の世界にはどう解決したらいいのか分からない問題が山積している。環境問題にしても「自然保護も大事だし、豊かで便利な生活も捨てられない」と多くの人が思っている。
 そんな難問だらけの世の中をくそまじめに生きていこうとするから精神に異常を来(きた)す人が増えている。
 とかくまじめな人は視野が狭くなり、失敗は許さないと考え、新しい提案にはいつも粗探しをして、少しでも欠点が見つかれば何でも反対する。また、震災などの避難所に、例えば500人いるのに差し入れられたおにぎりが400個しかなかったら配らないという妙な平等意識もまじめな人たちにとっては正義なのだ。
 だからといって、今日の社会を作った親世代の勤勉、勤労という生き方に反抗して、学ばない、働かない、自由気ままに生きるという不まじめな若者が増えたら、明るい未来は描けない。

 そこで森先生は本の中で第三の生き方を提案しています。それが「非まじめのすすめ」です。
 一般的に「非」は英語の「NOT」という意味で、その下に続く言葉を打ち消す否定の接頭語だと思われていますが、本来の意味はそうではないそうです。「非」は「超越」という意味で、仏典に数多く出てくるそうです。語源的には、鳥や昆虫の左右の羽を象(かたど)ったものだといいます。なるほど、空を飛ぶというのは昔の人間にとっては非常識、すなわち、常識を超えたことだったのでしょう。
 森先生は学生に

「揺れる電線になぜ鳥は落ちずに止まっていられるのか」

というテーマでレポートを書かせたそうです。工業系の大学なので、みんな物理学の視点から書いてきたそうです。

「鳥は、電線の上で自分の羽としっぽをバランスよく動かすことで重心を安定させている」等々。その中で、森先生が気に入ったレポートが一つあったそうです。

「鳥は滑り落ちてもいいと思っている。なぜなら飛べるから。」

 まさに「雪が溶けたら春になる」の発想です。
 そういえば、教師がテストの採点をしながら、思わず爆笑したという解答を集めた『テストの珍解答』という本があります。

 「『厳か」は何と読みますか?」という問題に、福岡県の中学生は「きびしか」と答えました。

 「彼女はアンザンが得意です」という漢字のテストに愛知県の中学生は「安産」と書いたそうです。

 いずれもバツでした。

 「『たとえ~しても』という表現を使って短文を作りなさい」という問いに、茨城県の中学生は「たとえトイレに行っても手を洗わない」と答え、これはマルになったそうです。

 私ごとで恐縮ですが高校生の時、毎月一度全校漢字テストがありました。出題範囲が決まっていて、そこを練習しておけば難なく点数はとれる代物でしたが、部活に夢中になり、うっかり漢字練習しておくのを忘れた時にテストで「トコナツ」という漢字が出題されたのを覚えています。どうしてもわからなかった私は、そこを空欄にするのもいやだったので、回答欄に「ハワイ」と書きました。国語の先生にはテストを返却した際、私を名指しで「ふざけるな!」と叱られましたが、教室の同級生にはバカウケだった記憶があります。

 私は全く不まじめに書いたつもりはなく、どうせ正解が思いつかないのなら、その得点を放棄してでもせめてシャレで書いて先生やみんなをなごませようと思った程度のものでした。
 その後、教師になって問題解決学習の中で、私が特に重視した子どもの発表は、教師が期待している発言よりも教師や他の子が思いもつかないような意見をその子なりの根拠を示して主張できることでした。時にはトンチンカンな発言もありましたが、それで教室はいつも和やかになりました。考えて答えることの楽しさを味わった子どもたちは、知識の量よりも発想の豊かさの方に目を向けるようになるのです。
 これからの時代は、「非まじめ」が世の中を明るくするのかもしれません。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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