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#105 学校とスーパーマーケット

 私は、スーパーマーケットに立ち寄るのが好きです。そこに教室や子どもの指導に生かすためのヒントがあるからです。学校も店も人間相手です。人間にどのように対応していくかを実践する場所として共通するものがあると思っていました。

 私はスーパーマーケットに入店する瞬間(どの店でも同じですが)がとても好きです。入った瞬間の空気がすべての始まりです。(これは授業を参観するときに一歩教室に入ったときの感覚に似ています)
 店も教室も全く同じで、すっきり、清潔、明るさ、わくわく感などが感じられるかどうかだと思います。
 店では、入ったところに野菜や果実を陳列しています。新鮮さや香りを醸し出すためです。その時客が五感で感じるものは、教室に入ったときに子どもたちが感じる気持ちと同じだと思います。野菜売場で、よく売れている野菜がありますが、昼過ぎに行くと、残りの野菜が散乱していることがあります。客が選んだあとの残り物という感じを与えます。私の好きな店は、たえず、店員が品物を丁寧に並べなおしています。これはお客目線で品物を見ていないとできないことです。

 一番気になるのは、レジ係りの私語です。そのような時間があるのなら、レジをうつときに、一つ一つの品物に目配りしてほしいものです。私語が店内の空気をどれだけ損なっているかを察知できるかどうかは店の人の感性です。飲食店でも、カウンターごしに座ると、料理をつくりながら店員同士の私語が交わされていることがあります。料理に集中していない証拠です。

 店員は、品物を客に売るのが仕事です。教師は、子どもたちに勉強(夢・希望・自信など)を教えることが仕事です。必要最低限のことをすればいいはずです。しかし、そこまでしなくてもいいのにということをさりげなくしている店があることも事実です。そういう店には自ずと人が集まります。同じようにそこまでしなくてもいいのに子どもたちのためにしている教師がいます。そういう先生は、子どもから慕われ、保護者から厚い信頼を得ているものです。

 極端な話、教室は勉強ができるための椅子と机があればいいはずです。しかしながら、その勉強が気持ちよく、落ち着いた環境でできるようにすることはさらに大切です。教室のにおい、目に入るもの、耳に入るきしみ音などに注意を配ります。一人一人の座席に座ってみると、余分なもの、すっきりしないものが多く目につきます。色あせた目標の掲示物。黒板の周りのよけいなもの、勉強している時に子どもたちは、それらを毎日目に入れているという事実。机のへこみきず。椅子のガタガタ。そのように子どもの立場で考えると、担任としての自分の配慮のなさを感じたものでした。

 教室は先生にとっても子どもにとっても、安らぎであり、修行道場でもあります。毎日、見慣れてしまうと、無関心になってしまいます。しかし、今の教室の姿は、先生や子どもの気持ちを具現化しています。放課後、他の先生の教室をのぞいてみてください。その様子から、子どもたちの活動ぶり、意識の仕方などが目に浮かんできます。
 それを自分の反省としてとらえていきます。教室の姿がその担任の先生自身の姿です。また教室の姿が子どもたちの姿です。日々の忙しさに教師としての感性を鈍らせてはいけません。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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