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#83 日本の学校の先生に見てほしい映画 その2

 今回紹介する映画は「パリ20区僕らのクラス」というフランス映画です。はじめにお伝えしておきたいことは、この映画がカンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞していることです。加えてアカデミー外国語映画賞──非英語圏最高賞も獲得している映画です。

 さらに、前回紹介した「ブータン山の教室」と同じような映画だと思ってはいけません。おそらく180度違うぶっとんだ映画と前置きしておかなくてはいけない映画だと私は思います。前回紹介した映画についてはこちらをどうぞ。

 では本題に入ります。この映画はパリ20区にある中学校を舞台にした作品です。さまざまな出自の人々が暮らすこの地で、フランソワ先生が出会う24人の生徒たちとの交流をドキュメンタリータッチで描いたものです。加えてパリにある多国籍であり問題児が多い中学校のあるクラスでの話なのです。特に劇的なこともなければ明確な起承転結やハッピーエンドがあるわけでもないので、地味と言われれば否定できませんが、非常に考えさせられるテーマを上手に扱い、教育という地味な話題を扱い見事最高賞のパルムドール受賞も納得できるほど素晴らしい映画だと個人的には思いました。

 教室にいる生徒たちが十人十色というのは国際化の流れで世界的には常態化しつつあると思いますが、(日本はまだ同質の子が多い教室だと思います)パリのこの教室に集まる子たちは日本人の私たちの想像以上に多種多様です。やっとの思いで学校に通えている貧しい子どもたちもいれば、裕福で家族の愛に恵まれた子どもたちもいます。同質の子どもたちで構成されている日本の教室では全く想像できないと思いますが。

 主人公フランソワを演じているのは、何を隠そうこの映画の原作者であるフランソワ・ベゴドーさんです。堂々とした演技はもはや本物の俳優さんとしか思えません。実際に長年教壇に立ってきた先生ならではものがあります。多感な中学生一人一人に目線を合わせて対峙するフランソワの姿を淡々と描きながらも、あえて映画にありがちなドラマチックな演出がないリアルさが心に残る映画だと言えると思います。先生が、子どもたちにとても深く介入していきます。まるで肉弾戦のごとく、先生が生徒に、生徒が先生に生身の感情をぶつけていく授業が見事なまであからさまに描かれています。先生と生徒の掛け合いがいちいちリアルなので、ただの授業シーンそのものが秀逸な劇となり、生徒ひとりひとりの持っているバックグラウンドが自然と頭に浮かび上がるような見事な脚本にひたすら圧倒されます。とにかくリアルでエネルギッシュな先生と子どもたちとのやりとりが続きます。またブレブレのカメラワークに、フィクションとは思えないほど生徒の生き生きとした表情や細かな仕草を鮮明に捉え、臨場感があり、まるでドキュメンタリーと間違えてしまうほどです。そして学校という小さなコミュニティ内での問題点が徐々に浮き彫りになっていきます。なにより教室が教育現場だけでなく、移民国家としての社会の縮図や複雑な現実が生々しいほどリアルに映し出されていくのです。

 単純に面白いと言えるような作品ではないかもしれませんが、よくできている映画というのは間違いないと思います。その理由は映画を見ていて自分がその場で授業を参観しているような錯覚になり、すごく引き込まてしまうからです。学校の先生をしている方なら、生徒が言ったことに対して自分だったらどう返すか考えながら見ていくのもよいと思います。

 さらに驚愕するのは学校の教員会議(職員会議のようなもの)に、生徒代表がオブザーバー出席しているのです。その生徒代表がいる前で、先生が生徒を名指ししながら格付けする会議を生徒代表が聴取しているのです。その後フランソワ先生は、そこでの発言を生徒代表に密告されて窮地に立たされ、さらにその悶着がヒートアップして生徒を売女呼ばわりしてしまい、さらにそれが問題化してしまうのです。──とにかくすごい教育現場なのです。

 万国共通の多感な中学生ころにだれもが通る「大人と張り合いたい気持ちや大人をを馬鹿にしたい気持ち」が生徒たちの心の根底にあるのは分かりますが、子どもたちは本気でフランソワ先生にぶつかりすぎです。でも、これだけ親身になってぶつかってきてくれる先生(大人)だったら、おそらく生徒は育つにちがいないと思いました。また本気でぶつかってきてくれる有り難さもありますが、先生だって人間です。本当に子どもたちを成長させる、育てる覚悟のないサラリーマン的な教師は自然に淘汰されていってしまう厳しさがそこにはあるのかもしれません。

 また問題になる子どもが悪いんじゃなく、周りの大人、環境、人種等...。私たち日本人じゃ本当に理解することができない問題が多いんだと実感しました。多文化共生・社会、個人と個人の衝突や調和、理解など私たち日本人は簡単に言ってしまいますが、まさに国際化が現在進行形で進んでいる教育現場では、どう理解していけばいいのでしょう。偏見はよくない、誰もがしてはいけないと思っているはずですが、日々の日常生活の中でカテゴライズやラベリングなど、そういうことを心の中で勝手にしてしまっている私たちの現実があると思います。

 この映画を見て、日本の学校(教室)ってなんて平和なんだろうと思う方もいらっしゃるかと思いますが、もはや国際化の波は日本も避けて通れません。この映画に出てくる生徒たちは先生が一筋縄ではまとめられない生徒たちばかりです。それはある意味先生の側から見ると「教えにくい(扱いにくい)」生徒たちなのかもしれません。しかし、日本の子どもたちよりもはるかに自分の頭で考えて主体的に行動しています。子どもが主体的になるということは、先生が曖昧な指示や表現をしてお茶を濁すような指導をすると、生徒から突っ込まれ、思わぬしっぺ返しを食らうことになりかねないということです。でも先生にとっても、生徒にとってもその厳しさを持つことはある意味授業の中で不可欠なものだと思います。

 先生から見て「教えにくい(扱いにくい)」主体的な子どもと、先生から見て従順で「教えやすい(扱いやすい)」受け身的な子ども、将来の競争社会の中で生きる力を発揮して活躍できる子どもはどちらでしょうか。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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