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RADWIMPSと仏教史にある「優生思想」


愛にできることはそれかい?

RADWIMPSのフロントマン・野田洋次郎氏のTwitterが炎上。ことの発端は7/16付のこの投稿(上部)だ。

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氏を知らぬ方も、新海誠監督のアニメーション映画『君の名は。』、『天気の子』の劇中音楽(「前前前世」、「愛にできることはまだあるかい」など)を全て制作した人物、と聞けば、この人物の影響力の大きさたるや推して知るべし、といったところだろう。

問題の投稿、「室伏広治と吉田沙保里の遺伝子継いだら、地上最強じゃね?」みたいな内輪の居酒屋トークならば、まぁ身に覚えもある。しかし酔った勢いだとしても、「配偶者はもう国家プロジェクトとして--」まで来ると「いやいやいや、それは当人たちの自由だから」とたしなめるレベル。もう完全にアウト。いろいろおぞましくて困る。

京都の嘱託殺人と表裏一体の思想ではないか

当該ツイートの1週間後、世間では京都の嘱託殺人のニュースが駆け巡っていた。容疑者のひとりは優生思想的な主張を繰り返していて、安楽死法制化にたびたび言及していたという。氏の炎上騒動は、この事件と表裏一体のようで、われわれに深刻な問題提起を投げかけたのだった。

騒ぎが大きくなることが予見されたのだろう、当該ツイートの10分後に氏は

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とツイート。これが「冗談で済むか!」と火に油を注ぐ形に。
これら2つの投稿を辿っていくと、さまざまな研究分野の学者の方々からの反論も読むことができるので、未読の方も一読をお勧めしたい。


仏教史に残る「優生思想」

氏のいう「国家プロジェクト」を、かつて地で行った歴史があった。
日本に存在した「旧優生保護法」(1948~1996)、ナチス・ドイツの「断種法」よりもはるか以前、1,600年近く昔の、シルクロードにおいてである。

1人の僧侶・鳩摩羅什(くまらじゅう、クマーラジーヴァ、Kumarajiva、344年?ー 413年?)を巡って、『高僧伝』(岩波文庫)には、こうある。

君主の姚興はある時、羅什に言った。「大師は聡明にしてけたはずれの理解力の主であって、天下に二人とはおられぬ。もしいったん世を後にした暁に、仏法の種を途絶えさせてしまってよいものであろうか」。かくて伎女十人を押しつけて受け入れさせた。
             ---『高僧伝 (一)』(岩波文庫、P174)

羅什は生涯に約300巻の仏典を漢訳(サンスクリット語→中国語)し、その翻訳の中には、現代のわれわれにも馴染みの深い『般若心経』、『法華経』なども含まれる。
そんな稀代の天才僧の子種欲しさに、牢へ押し込み、女性をあてがい、国同士が戦争に発展したのだという。

その二国は、結果、どちらも滅びた。


待っているのは恐ろしい未来だ

「優秀な遺伝子を残したい」という想いは、一見、素朴なように見える。かみ砕けば、「付き合う相手はスペック重視」ってことだ。そうした表現はわれわれの日常に散見される。問題にもならないほどに。しかしこうした価値観の台頭の末には、恐ろしい未来が待っている気がしてならない。

優生思想は、歴史的に見ても、戦争と結託しやすい。
そんな兆しを、われわれはひたひたとリアルタイムで感じ取っているのではないだろうか?

羅什以降、1,600年が経っても、人類はそのつど同じ轍を踏んでしまいそうになる。何か得体の知れない恐怖が迫ってきているようで、とても怖い。



Text by 中島 光信(僧侶・ファシリテーター)

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