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自分は何によって憶えられているか? ~キャリアの転機は、一所懸命さが連れて来る~

ピーター・ドラッカーの人生訓

 経営学者のピーター・ドラッカーの人生訓の一つに、「自分は何によって憶えられたいか?」というのものがあります。いろんな書籍で出てきますのでオリジナルの出所は不確かですが、私は「プロフェッショナルの条件」という本で読みました。

 ドラッカーはこの言葉を13歳のときに宗教の先生から問われたそうです。先生は「今は答えられなくてもいい。ただ、50歳のときにもそうなのであれば、人生を無駄にしたことになる」と付け加えたそうです。

 自分のキャリアを考える時に、「どんな人生を送りたいか?」という問いを自分にすることはありますが「何によって憶えられたいか?」と言われると、また違う思考がはたらきます。


 先日、私の務める会社の社長と会食する機会がありました。社長は私の元上司で、私の社内キャリアチェンジのタイミングでお世話になった方です。
あれよあれよという間に偉くなってしまったので、食事をともにするチャンスが少なくなってしまっていました。ちょっとしたきっかけで、声を掛けるタイミングができたので5年ぶりぐらいにたっぷりと話ができました。

 この方との出会いは約10年前です。私が、社内での事業部異動(といっても、違う会社にいくぐらいの変化)した先の上司でした。異動した先の事業部は、元々いたところの売上は5倍、利益は10倍稼ぐところで、全社的にも最も重要視されている事業部でした。

 私は、そんな立派な事業部に外部から来た人間です。いわば「外様」な人間もかかわらず非常によくしてもらいました。社内での選抜型の研修に選んでもらったり、難しい役割にチャレンジさせてもらったりと、会社でのいまの自分のキャリアがあるのはこのときの上司の育成のおかげです。


 ひさしぶりの会食なので、昔話にも花が咲きます。僕は社長に聞きました。
「今の自分のキャリアがあるのは、あのときのおかげです。あのとき、なんであんなに厚遇してくれたんですか?」
『おまえ、面白いやつだったから。覚えているか?あのうちの分厚い商品カタログを持ち上げるデモしてたろ。』

 社長に言われて、記憶の糸をたどって自分のやったことを思い出しました。


 私が当時企画していた商品(電気配線するための機器)は、従来のものよりも簡単に配線ができるだけでなく、丈夫で信頼性が高かったのがウリでした。私はそのウリを訴求するプロモーションの方法を一生懸命考えていました。
丈夫さを数値で示すことはできますが、”■■N以上”と訴求しても、お客さんはピンときません。
 いろいろと考えた結果、お客さんが感覚的に”重たい”を思えるものを持ち上げるのがいいだろうとなり、その代表格である商品の総合カタログをその材料に使いました。(大辞泉より重たい、と言えばだいたいの方にはわかるかと思います)

 カタログの目的は、言うまでもなくお客さんが商品を探したり、営業が商品の説明をするときに使うものです。あろうことか、私はそれを”重たいものの代表格”として扱い、私の企画した商品にそれを吊るして持ち上げる動画を撮影して、それをプロモーション目的で色んなところにバラまきました。

 当時の私の動機は「どうやって自分の商品の良さを分かってもらおうか?」ということだけでした。奇をてらったことをやりたかったわけではないですし、炎上(当時この言葉はなかった)マーケティングをしたいわけでもありませんでした。
ただただ、一所懸命に考えて「これでいける」と思えることをやっていましたし、もう記憶からもほとんどなくなっていました。私にとってはそんな思い出。
 一方で、私のキャリアに大きな影響を与えてくれた元上司は、私のことを「カタログを持ち上げるデモをする面白いやつ」ということで憶えてくれていました。

 自分で自分を憶えていること、他人が自分を憶えていること、ここにはこうした差があることを改めて気づきました。

あなたは、あなたにとって重要な人から、なにによって憶えられていますか?


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