よだれすら可愛い、というパワーワード

が、自分の口から飛び出してびっくりした。昨日のこと。

きっかけは、夫が発した「うわぁ」でした。

私と赤ちゃんとで母乳相談室へ行くので準備していたとき、夫に赤ちゃんをいったん抱いていてもらったときのこと。
母乳相談室で授乳指導を受けるため、お昼寝と授乳のタイミングを調整中で、眠くてお腹が空いていた赤ちゃんは拳を舐め舐めしてグズるのをこらえていました。
最近よだれが増えてきているので、拳も顔もビチャビチャ。夫が赤ちゃんを抱っこしたときに、ビチャビチャの手がぶつかったようでした。
平日は赤ちゃんと夜しか会えていない夫はビチャビチャおてて攻撃にも慣れておらず、「うわぁ」「よだれ付いた」とのリアクションをしました。それに対しての私の返しが「最近よだれ増えてきてさ」「よだれすら可愛いよね」でした(よだれへの慣れは過ごしている時間ベースの経験値の差なので、良いとか悪いとかなしに自然なリアクションかなと思います)。

よだれすら可愛い…?

自分が自然に言った言葉に自分でびっくりしました。


一旦話は逸れますが、赤ちゃんに向かって話しかける「可愛いねー」は自分にも言い聞かせているセリフだ、という内容のコラムだったかInstagramの投稿だったかを読んだことがあります。
共感の声が沢山寄せられていたし、私も身体にスッと染み込むように共感したのを覚えています。

我が子は可愛い。でも毎日お世話していると、可愛いをしんどいが超えてくる瞬間ももちろんある。そんなとき、可愛いねーと声に出して言うことで、可愛い存在なんだと思い出している気がするという内容でした。

自分も、お世話していると、めっちゃ「可愛い!」と言っています。
思わず漏れてしまう「ぎゃんわいい…ぐふ」みたいなのもありますし声掛けとしての「今日も可愛いねぇ!」もありますが、例えば機嫌が悪くグズグズのときの「声も可愛いねぇ」、うんちをつけたお尻を上げて足をバタバタさせているときの「元気なあんよ!可愛い!可愛いあんよいったんお休みしようかー!?」、そして寝ない泣き止まないときの「よしよし、可愛い〇〇ちゃん、大丈夫だよ」などは、声に出して心の安定を図るための習慣なのかなーと。


よだれすら可愛いよね、に戻ると、顔や手やプレイマットのよだれを拭いながら出発の準備をする日々の時間の中で、習慣が染み付いた結果出るようになった言葉のような気がしました。

こうやって時間を重ねる中で、自然と心の許容幅が広がっていくのかもしれないですね。

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