「手段」と「目的」の取り違え。
「旅にでよう。目的地は、ニューヨークだ!」
威勢のいい船長はクルーにそう叫び、港を出発した。
旅を続けるにつれて、その船は50人、100人、1000人と乗組員が増えていき、船も大きなものに変わっていった。
組織が大きくなるにつれて、船の中で問題が起きるようになった。
「あいつは仕事をしていません。」
「あの人は大したことをしていないのに、よい待遇を受けている。」
「船の中はとてもあつくて、仕事にならない。改善してほしい。」
「食堂の食事がおいしくない・・・。」
船長は何とか、クルーの幸せをと思い、ひとつづつ問題を解決しようと紛争している。しかし、解決しても、解決しても、終わらない。次から次へと問題が船の上で発生してくるからだ。
ふとした時に船長は思った。
「ここにいるクルーは、何をもとめているのか?」
クルーとして船で働くことを認めたとき、多くは「ニューヨークへいきたい。そのために、船ではらたきたい。わたしには、こんなことができるのだ。だから雇う価値があります。」と答えていた。
けれども、航海が続くにつれて、「ニューヨークにいく!」という当初の目的ではなくて、手段であるはずの「船での航海」について、途方もない議論をするようになっていたのだ。
そこで、船長は決めた。そして、クルーに向けてスピーチを行った。
「船の中の状況が良くないことはわかる。改善しなければいけないこともたくさんある。けれども、その意見がニューヨークにいく!という目的にとって、いかに重要であるのか、考える価値があるのか教えてほしい。船にきたみんなは、ニューヨークに行きたくて乗ったのだろう。」
すると、少しずつだが、議論の方向が変わった。目的のために、必要か?という話し合いが増えていったのだ。
最終的にその船は多くの目的へ導くアイデアがクルーから提案されて、当初の想定よりもずっとずっと早くニューヨークに到着した。
まとめ
目的と手段を取り違えてはいけない。
気が付かないところで、手段の議論が目的になっている場合がある。
じぶんの発言が大きな目で見たときに、目的に向かっているか考える。
手段の議論を目的としている場合、すぐにそもそもの「目的」について考える。
参考書マニアの受験生もそうだけれど、「参考書を買うこと」が目的となって、「受験に合格する」ことがないがしろにされてしまう場合がある。このように「手段」と「目的」は混同しがちなので、胸が痛いが、きちんと自分に問いかけることは必要。今やっていることは、「目的」のためなのか?それとも「手段」のためなのか?「手段」の為なら、それは「目的」につながっているのか。
目先のことではなく、大局を考え、目標達成に動くことも需要です。
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