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バリキャリだった祖母、ノブ子(87)の教え#WORKINGFOREVER27

「いい?Yumi*ちゃん、努力するのよ。」
富山に住む祖母が電話の切り際に必ず私に伝える言葉です。
祖母がまだ若いころ、当時では非常に珍しく短大に進学。三軒茶屋に校舎を構える昭和女子大学を卒業し、小学校の国語の先生としてキャリアを積んでいました。孫ができるほどに歳を重ねても声には張りがあり、凛々しく、強く、そしてちょっと厳しくて怒ると怖い。私にとって祖母はそんな存在です。

あまりにも衝撃的でいまでも覚えている5歳の頃。
祖母に
「私『ちゃん』って呼ばれるのが嫌なの。『ちゃま』にしてちょうだい。」
とピシャリといわれ、その日から私は父方の祖父母のことを「おじいちゃま」「おばあちゃま」と呼ぶようになりました。その日から20年以上の月日が立っていますが、一度も「ちゃん」付けで呼んだことはありません。

料理は苦手だけど刺繍が大好き。フットワークが軽く、社交的で面倒見も良いけれど曲がったことが大っ嫌い。大学時代に友人と散歩に出かけた鎌倉で食べた鳩サブレ―が大好物。男気溢れる一方で、たまにチャーミングな一面も見える、魅力的な人です。

そんな祖母は2020年のコロナの自粛期間中に、最愛の伴侶を亡くしました。
そして今祖母はひとり、施設で暮らしています。

祖父が亡くなった時、東京や愛知に住む親族は、富山に帰省することを許されませんでした。仏壇に手を合わせられないまま、あと数か月で祖父が他界してから1年が経とうとしています。

祖母は加齢で身体も不自由になっていき、手にも力が入らず、手紙の文章も、俳句の一筆も思うように書けない。趣味の刺繍もままならない。外出は感染拡大防止のために許されない。たまに電話を掛けると、祖母の声から伝わるエネルギーが弱くなっていくのが感じられました。でもある日、ふと、「弱さ」が「柔らかさ」に変わった瞬間がありました。

そして、その時から祖母の言葉も変わったのです。
「努力しなさい。そして、いい恋もしなさい。なにより楽しく健康に生きるのよ。」

祖母の今までのふるまいや言葉の節々から、今までの人生で相当の努力を積みあげてきたのだろうと推察します。だからこそ、得られたものがある。でも、最愛の人を亡くし、肉体的に努力を重ねることが厳しい状況に置かれている今、彼女が出した結論は「頑張ることはもちろんだけれど、日々の当たり前に感謝して楽しむことも大切」なのではないか、と思いました。

私を含め、多くの人はきっと、今を生き延びるため、そして将来のために必死に日々を過ごしています。うまくいかないこともあれば、がっくりすることもある。でも、そんな日々はもうすでに愛おしいもので、素晴らしいものである。そしてそれを慈しむことができるのは幸せなことである。祖母との電話からそう気づかされました。

仕事、頑張りたい。もっと人生味わい尽くしたい。だからこそ、日々の当たり前の営みを大切にしよう。祖母のお陰で今はすこし、そう思えるようになりました。

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