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中医学の虫眼鏡 自分の中のサンセット~収穫と治節の時間


「なにかが自分の中の底のほうに静かに沈んでいく時間は大事です。」

私の70過ぎた父ですらSNSを始める時代です。PCや携帯電話をさらさらめくって眺めたりメッセージで交流したりする時間、素敵な一枚が撮れるまでがんばる時間、素敵な文章をひねり出す時間、それらに忙しくリアクトする心模様。


私は、仕事環境が変わって心身に余裕がなくなって辛くなった3か月ほど前、携帯電話からSNSのAppを削除しました。もともと、テキストや電話で頻繁にやり取りする友人も少なく、職場で息抜きに日本語でおしゃべりをできる同僚も全くないので、こんなに自由に交流できる時代なのに世界にぽつーんと1人でいるような感覚を味わっているこの3ヶ月。

先日、冒頭の言葉を耳にした時、思わず涙が落ちてきたのに驚きました。

あぁ、私は今、そういうことをしている真っ最中なんだ。


少し自分のこと。なぜ涙なのか。

友人の数が人格のすばらしさを示す指標なんじゃないかという恐怖みたいなものを幼い頃からもっていて、変わり者で友人がとりわけ多くもない自分はダメな奴だとずっと感じていました。

この3ヶ月はとにかく精一杯。黙々と職場と家との往復の中でさみしさを感じると同時に、誰かと言葉を交わす代わりに自分と対話するという時間が戻ってきました。そこで改めて出会う自分の気持ちというものがあったりして、こういう時間もなかなかいいもんだなと感じるようにもなってきました。

湧いてくる思いや感情を自分の中にぐっと閉じ込めて凝縮させるような時間は、けっこう悪くないものです。たまに絞り出す言葉が、以前より素直で自然で力みがなくておもしろかったりするのです。

それまでは、本来持って生まれた私の気質もあるでしょうし、時代の風潮にのろうとしていたところもあるでしょうし、これまでの経験からそうなった部分もあるのでしょうが、気の利いた言葉、しゃれた誉め言葉、スパイスの利いたコメント、年相応の知性とか佇まい、そんなもの達を自分の外側に向けて意識し続けて暮らしていたのかなと思います。

簡単に言えば、飾っていた、格好をつけていた、ということです。

そんなもの、もともとないから飾らなければいけなかったんだ。


自分と対話する孤独は、ちっとも格好悪くない。

意識を外に向ける必要がなくなると、自然と自分との対話が始まり、それはどんどん深まっていくように感じました。その日に見たもの聞いたもの、感じたこと、考えたことが、自分の中を素通りしていくのではなく、自分の中のどこかに格納されていくような感覚です。

そんな暮らしが3か月を迎える頃、Zoomである読書会に参加しました。以前から時折参加していたものです。先日の会で私の心に留まったものが、冒頭に書いた会の主催者の方の言葉でした。

自分と対話する時間が好きになっていく一方で、どんどん人との関りを面倒くさく感じ始めている自分の在り方は、本当に大丈夫なんだろうかという不安がどこかにあったのだろうと思います。

あの言葉を聞いた時、自分は自分を知る時間を積極的に持とうとしている、ちっともダメなことなんかじゃない。そういうふうに聞き取ってうれしくて自然と涙が出たのです。

ちっともダメじゃないよ、自分から目をそらさない、という勇気が生えてきたんだな。

ノートにそのような自分へのメッセージを記しました。


これだ、という感性を

社会科学に関する本を読む会だったのですが、私には心を癒す時間となりました。意外性というか、そこにどんなことが隠れているのかは経験してみなければなかなかわからないものだなと改めて思います。

中医学では、私達の心身に起こる事象は、自然界でも同じように起こっていて、そこに生命活動のヒントが隠れているという考え方が基本になっています。隠れているというよりも、そこに答えがあるよ、という方が自然なのかな。

医学と自然。

心が苦しい体が痛むということの原因を探る時、自然を見ればその解決のヒントがあるよ、言われてもなぁ。痛み止めを飲むほうが早いなぁ。

自然の営みの中に、人間の様子を見るようだと感じ観察し実証して学問にした感性はすごいなと、学び始めた中医学のテキストを読んでいると毎回驚くばかりです。現代よりずっと医学も化学も発展していない時代だったとはいえ、否定せずに結び付けてみるという感性。

物事をよりよくするヒントにどこで出会えるかはわからないものだなと思います。気づくことのできる感性は、静かに物事を見つめる時間の中で発揮されていくものなのかもしれません。


一日の終わりにそんなふうに自分の心身観察をすることをしてみてもいいように私は思います。

心模様というくらいで、私達の心や体の調子も空模様のようにくるくるといそがしく変化します。天気予報をみて明日の空模様をチェックするように、

今日の自分の心や体の様子はどうだったかな?

じゃぁこの感じだと、明日はどうなっていくのかなぁ。

傘を持った方がいいのか、日傘を持った方がいいのか。

どんな服装で過ごすのがちょうどよさそうかな?

一日を終える時の自分の体と心をじっと見つめるような時間。


それを見つめている時の自分の心や体の様子の観察。

どんな息づかいで、どんな鼓動をしているだろう。

一日を終えて沈んでいく太陽を見るように、一日を終えようとする自分の体は、どんなふうだろうか。心はそれをどんな気持ちで眺めているだろうか。


静かに眺めることは簡単ではない

自分自身を静かに観察するということを習慣にするのは少し時間のかかることかもしれないけれど、そんな静かな時間こそ、自分の中の何か大事なものを育む時間になると私は期待します。

昇る朝日や沈む夕日、闇夜に浮かぶ月や星を見る時、私達は無言であることが多いように思います。なにかひとつぼーっと眺める対象があると、静かな時間を作りやすいのかもしれないなと思います。

目が覚めるとむくむくと自分の中に太陽が昇り、眠りにつくときにその太陽が静かに沈んでいく。そんなイメージをしてみるのはどうでしょう。

自分の中に太陽という生命の源のようなものがあるとして。

その光の下で体が健やかに成長し機能し心は豊かさであふれる。

その光が沈む間は、体と心が十分に休み癒え、養分をその中に蓄える時間。


自分の中で静かに沈んでいくものを感じる時間は、明日の豊かさにつながっていく。


太陽は西に沈む、ということを虫眼鏡する

中医学の五行説では、日が沈む西の方角は秋の季節と考えます。収穫の秋です。

実ったのは、おいしい果実ばかりではないかもしれないけれど、少しすっぱくて苦いような果実も、次の芽吹きのためにはいったん収穫してしまわなければなりません。

西の方角は、治節を司る臓器・肺に対応しており、治療や調整の時間にもよいようです。お布団の中で自分の呼吸の様子を観察して、丁寧に呼気の出し入れをするのも、自分の中の太陽の消灯にはぴったりではないでしょうか。

携帯電話を眺めながら、自分のことを想うのは難しい。


人生のある時に、自分と対話する時間がうまれることは幸いです。

自分をまっすぐみることを恐れず、疎ましがらずに。



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今日はCalendulaという花のハーブを、Sunflower seed oilに漬けました。黄色い花を黄色い花の咲く種からとれたオイルに。ひと月ほどたって花のエキスが染み込んだオイルで、軟膏とリップバームを作ってみようと思います。ちょうど月蝕と満月を終えた朝。昨夜のお月様は黄色かったかな?




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