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橋岡會別會慶祝能會

Facebookからの転載です↓

日頃からお世話になっている方のお誘いで能楽師の橋岡久太郎師の還暦、伸明師の半白(50歳)お祝いの会に出席させていただきました。
17時からの開演に先立ち、楽屋にご挨拶。私までよいのかしら、とめちゃくちゃ緊張しながら伺うと、大切な舞台の直前とは思えないほど、リラックスした表情の伸明師がお迎えくださいました。とても気さくで、おおらかな方。
「今日はお酒の振る舞いがあるので、始まって5分か10分でみんな寝ちゃいますよ」と、あっけらかんとおっしゃいます。そして「ところで足袋は持ってきましたか?」と。いいえ、とお答えすると「ちょっと待っていてね、これは僕の稽古用で大きいけれど」と、1足の白足袋を出してくださいました。
そんなそんな、恐れ多い・・・と遠慮したのですがいいからお履きなさいと促され、伸明師直々に、能楽堂の舞台をご案内立いただいたのでした。


「シテは、左足から出ます」「ここを、ゆっくり、ゆっくり進んで、ここで前を向く」など、丁寧にお話しくださり、「面(おもて)をつけると視界はほとんどありませんから、柱の位置で立ち位置の見当をつけるんです。でも、舞台の中央と、名乗り座には畳の目のようなザラザラした場所があるので、わかるんですよ」とその大切な場所を教えてくださり、「足の裏でこすると、わかるでしょう?」と。モノで傷がついたわけではなく、能楽師のみなさまが足袋を履いた足で擦り続けて、波打つように凹んだのだそうです。

潜り戸を抜けて、再び楽屋へ。足袋を洗ってお返しさせてください、とお願いしましたが「次の人に又貸しするから、いいんですよ」と受け取られてしまいました。本当に心の広い、お優しい方でした。

夢うつつのうちに、中庭へ。遠州流宗家によるお茶席で、塩野の豪華なお菓子とともに、美味しいお茶をいただきました。私の見学とお茶席でゆっくりしてしまったために、残念ながらドン・ペリニヨンの振る舞いには間に合わず。でも、ホワイエに出ていらした伸明師が能の「土蜘蛛」の蜘蛛の糸の投げ方を実演してくださったりしてもう、始まる前からファンになってしまいます。

舞台も、本当にお見事でした。連吟、仕舞のあとは、いつも拝見している万作の会による狂言「悪太郎」。お酒が大好きな悪太郎がおじさんのところに行き、飲ませろ、飲ませろと絡みまくる。仕方がなくおじさんはお酒を飲ませますが、悪太郎は帰りに道端で高いびき。心配して追ってきたおじさん(この優しさが狂言らしくて好き!)は高いびきの悪太郎を見つけ、しょうがない奴だ・・・と言いつつ、髭を剃り、頭をつるつる坊主にして、「これで反省せよ、今からお前の名前な南無阿弥陀仏だぞ!」と言い残してさっていきます。目覚めた悪太郎は、おじさんの声をお告げだと勘違いし、そうか、これから自分は南無阿弥陀仏なんだ・・・とあっさり納得(この素直さもいいんです)。そこに修行僧が念仏を唱えながら通りかかると、元悪太郎は「なんで俺の名を呼ぶのかな? 何の用だ?」とお坊さんの前に、ちょこまかと顔を出します。お坊さん、「へんなやつだ」と思っていたのですが、
鉦の音やお念仏にいちいち反応するのが面白くなって、ついには念仏と鉦をラップのように唱えながら2人で踊りまくっちゃう、というハッピーエンドな作品。ノリのよさ、太一郎さんの若々しさがすごく良かったです。

第1部のしめは、能「高砂」後。あの有名な「たかさごや」を能楽堂で聞ける至福。シテの久太郎師、重厚感がありつつエレガントで、とても素敵でした。

第2部は能「江口」。初めて拝見しました。シテ(遊女 江口の君)は橋岡伸明師。旅の僧が江口の君の旧跡に立ち寄り、昔、西行法師が一夜の宿を断られた時に詠んだ歌を口ずさむと女性が現れて、「法師様を遊女の里に泊めるわけには参りませんでした」と言い、姿を消します。僧が夜更けに江口の君を弔っていると、江口の君の霊が現れて往時の事を思い出し、舞を舞って普賢菩薩になり、消えていくーー。在りし日を思い出しての舞、華やかな中にも切なくて。

今、思い出しても震えるのは、前段でも後段でも、伸明師が舞台ギリギリまで静々と進み、舞台から足半分ほど踏み出したこと。現実世界に戻ってきた霊が元のあの世なのか、はたまたその先の世界なのか、そのあわいをつま先で探り、かき混ぜるような繊細な演技。先程までの明るい信明師とはまったく違う、しっとりした演技にしびれました。

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