カップラーメンを待つ3分


小腹がすいたので、カップラーメンを食べることにした。
お湯を沸かし3分待つ。
この3分、あなたなら何をしますか。
仕事をしたり友人と話をしている3分はあっという間に過ぎるが、カップラーメンを待つ3分は意外に、長い。


3分でできることといえばなにがあるだろうか。
SNSをチェックする、トイレに行く、たまっているLINEの返信を2~3人にする、テレビの録画予約をする、ぼーっと待つ。
せいぜいこれくらいだろう。

カップラーメンを待つ3分は面白い。
3分を過ぎてしまえばラーメンが伸びておいしくなくなってしまう。
そのため3分以上かかってしまいそうなこと、例えば人に電話をかける、ちょっと離れたごみ置き場にゴミ出しに行くなど、3分を超えてしまいそうなことはトライしにくい。
だからこそ、逆に何もできずに3分は長いと感じながら時間を持て余すのだろう。
3分を持て余したところで、たいして支障はない。

ただしこれが何度も積み重なるとしたらどうだろう。
人生のうちカップラーメンを食べる機会が週に1度、一か月に4回、年間48回あるとしよう。
すると持て余す時間は3分×48回で144分となる。
2時間以上だ。2時間以上も持て余しているのだ。
2時間あれば何ができるだろう。
映画は一本見れるだろうし、料理もできる。たまっている洗濯物も干せるしある程度の掃除もできる。持て余している3分の積み重ねで、意外にできることは多い。


だからと言ってカップラーメンを待つ3分を有意義な時間にしようとは思わない。
私たちはこの持て余している3分の積み重ねが莫大な時間の持て余しだと自覚したとしても、カップラーメンはぼーっと3分待つことになるだろう。
結局、たかが3分なのだ。


この話はカップラーメンができあがるまでの3分を持て余すことについての議論をしたいわけではない。
私たちは”意外と時間をロスしている”という話だ。
時間がない、忙しいという言葉を口癖のように言っていたが、ふとした数分の持て余しの積み重ねを無意識にしているのではないだろうか。
電車を待つ数分、帰宅してから動き出すまで消費するソファの上での時間。
その持て余している数分が一日のうちに何分くらいあるのか考えてみると面白いのではないか。
そしてその持て余している数分が気持ちに余裕を生んでいる一因なのかもしれない。

カップラーメンを待つ”何もしない”3分が、日々の余裕につながっているのだと思う。
持て余している時間はある程度あったほうがいいのだ。
だからこそ私はこれからも、カップラーメンを待つ3分間は何もしないでいようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?