友達の定義
今日もまた、見たくないものを見てしまった。
高校の友達のInstagram。
いつも3人で過ごしていたはずなのに、
たまに私を除いた2人で遊びに行った投稿があがる。
なぜだろう。
思い返せば、あの時もそうだった。
中学の修学旅行。
2日目の午後は民泊だった。
当時仲が良かった4人でとある家族にお世話になった。
いわゆる”仲良しグループ”が苦手な私だけれど、
この3人は別だと思っていた。
部活が同じ、委員会が同じなど、
3人それぞれにクラス以外にも交流の場が多数あったからだ。
始めはとても楽しかった。
畑を手伝ったり、砂浜で遊んだり。
いろんな話をして、いろんな写真を撮った。
しかし、夕方、銭湯に行ったとき、
お風呂から上がって脱衣所で着替えていると、
横にいる3人が同じ服を着ていることに気が付いた。
1人だけ違う恰好をしている私は、ただの人数合わせで、
さっきまでの時間はウソだったのかと思った。
あの日見た、おそろいのTシャツ。
「写真撮ろ」から「写真撮って」に変わった瞬間。
今でも忘れることができない。
なぜいつもこうなるのだろうか。
私はコミュニケーションが苦手というわけではない。
小・中の同級生で話したことのない人はほぼいない。
生徒会室で作業をしていたら、話をしに同級生が遊びに来る。
でも、特に仲のいい子がいるわけではない。
恐らく「一番仲のいい子は誰か」と聞かれて
私の名前を上げる子はいない。
”仲良しグループ”に居辛くなった子が一人にならないために、
一時的に一緒に行動できる子という位置づけだった気がする。
大学生になった今でも、
周りの人とどう接していいのかあまり分からない。
この春休みはビックリするぐらい暇だったが、
誰かに「遊びに行こう」なんて声をかける勇気はなかった。
誰からも「遊びに行こう」なんて言われなかった。
大学生になって、
地元の交流が活発になっているのは知っている。
でも、中学時代に部活・生徒会以外との連絡を制限されていた私は、
大学生になった今も、
同級生の連絡先をあまり知らない。
部活のメンバーもそれぞれ交流があるみたいだが、
私には何の話も流れてこない。
いつか”友達”ができるのだろうか。
自分から行動していかないと何も変わらないよなと思いつつ、
今日もまた、バイト先の人に言われた
「友達多そうだよね」という”友達”の定義を考えている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?