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「暴れた数だけ」爆竜戦隊アバレンジャー初見感想

仮面ライダー555と同期で今年20周年を迎えた爆竜戦隊アバレンジャー、子供の頃はお寝坊さんな所もあって戦隊自体は起きれない時もあってライダーと比べると視聴数もまちまち。
そんな中、20周年でVシネが制作されることが決定したニュースを見てフォロワーさんも好きだし、じぁ観てみるかという理由から始まったアバレンジャー視聴。

1話での作風から明るい戦隊もののイメージがあったのですが、実態は人間の醜い部分も描き、追加戦士のはずが終盤まで主人公達と対立し全然仲間にならなかったり戦隊のフォーマットはやりつつもかなり異質だと思った。
色々語りたい話数はあるのですが、これはすごい話だったというのを幾つかピックアップしていく。

1.16話乗ってけ!アバレサーフィン
サブタイのサーフィンってなんだ?となりますが話自体は幸人さんの成長話、幸人さんの親父はお偉いさんの社長で常に勉強させ缶詰状態、幸人さんに恋人ができた時も金の力を使って別れるよう仕向ける典型的な毒親として描かれていて、敵のトリノイドがその人の1番嫌いなものを幻覚として見せる攻撃をしてくるので(幸人さんには鬼の仮面が出てきてそれが親父だと思っていた)どう親父と向き合うのかがテーマなのですが、凌駕の親目線での「舞ちゃんが必ずしも俺が願うように育たないかもしれないけど、それは仕方のないことですよ。だって舞ちゃんは舞ちゃん、俺は俺、お父さんはお父さん、三条さんは三条さん。お金で縁を切るなんてお父さんが三条さんの彼女さんにしたことにそっくりじゃないですか」という言葉に本当に恐れていたのは親父ではなく、親父を拭いきれずに恐れていた自分自身だということに気づき見事トリノイドを打ち倒すのですが、最後まで実は親父の愛があってとか和解することなく話が終わる所が衝撃でした。
子供に強要する親が必ずしも愛しているとは限らない、問題なのはそれとどう向き合っていくかという明るい作風ながらチラリと見せるシビアな描写がアバレンジャーの魅力なのかもしれません。

2.23話アバレ電波ドギューン!
これまたサブタイからは想像つかないような話です。アイドルの「うぜーんだよ」と汚い言葉を乱用する歌が子供達の間で大流行、エヴォリアンが電波を使って人々を凶暴化させていくのですが、アイドルやマネージャー、テレビ局のお偉いさんも皆エヴォリアンに操られてると思いきやグッズで儲けたり、視聴率を稼ぐために自分達が進んでエヴォリアンに協力していたことを知り作中で初めて凌駕が人間の醜さに触れ、あの嫌いなものや人なんてまるでない凌駕が「あなた達が魂を売ったのはこういう奴だ。やられたくなかったらとっとと消えろ、消えろ!」と怒りを爆発させたほど、まんまと敵の策略にハマり人質として捉えられていたバキケロ、ディメノコも心の隙間に入り込まれアバレキラーの手中に収められてしまうというヒーローの完全敗北を描いた話だと思います。
ヒーローでも心まで救えないことはある、裏切られたかもしれないけどそれでも人を信じていたいという願い。最後にアイドルの一人が脱退し解消の兆しが見えたものの根本的な問題解決には至っておらず、最後のなんとも言えない凌駕の表情が切ない。

3.48話ファイナルアバレゲーム
やっぱりこれは外せないでしょう、紆余曲折あり仲間になったアバレキラーこと仲代壬琴が迎える壮絶な最期、仲代先生にはデズモゾーリャの片割れが体内に入っていて幼少期から卓越した頭脳と運動神経を持っていた、故に周りから浮いた存在となり、友達1人もできず両親からも半ば見捨てられた為に誰かを信じるという気持ちを持たないまま成長してしまった。
自分にとって最高の「ときめき」を求めて面白そうなものがあれば首を突っ込み、とにかく戦いという名のゲームを楽しんでいた、そのためなら別に自分が死んだって構わない。
だが凌駕の仲代先生を信じ続ける気持ち、1人ではない暖かい居場所ができたこと、そして自分自身と向き合い生き続ける為に戦いたいと願った時、本当の意味で彼はアバレンジャーとなった。
アバレンジャー達のダイノガッツでデズモゾーリャに勝利したがデズモゾーリャが消滅するということは仲代先生が不死身の身体ではなくなってしまうことを意味する。全身血だらけになりながらもダイノマインダーの大爆発に凌駕達を巻き込まない為離れるように促す仲代先生の元にトップゲイラーが現れ共に彼方上空へ飛び立っていった。
「皮肉なもんだ…生きたいと思った、この俺が…だが不思議と…悪い気分じゃない…。」
「お前は俺たちを十分にときめかせたゲラ。お前はもう、ときめきを探す必要はない。さらばだ壬琴。」
ダイノマインダーの大爆発が起き、仲代先生、トップゲイラーは跡形もなくなった。
人間と呼んできたトップゲイラーが初めて壬琴と呼んだシーン、だがこの言葉を発する前に仲代先生は息絶えていたのでこの言葉を聞くことはなかった。
死んでも構わないと思った人間が最後まで賢明に生きようとした。地上戦ロボ戦の熱さも然ることながら命の儚さも描いた珠玉のエピソードだと思います。仲代先生が仲間になる過程での舞ちゃんとのやりとりなども良いのですがそこまで書くとますます長くなりそうなので割愛。


総評
アバレンジャーは確かにアスカやマホロ、仲代先生の最期、人間の邪悪な部分などこれだけ書くと重苦しい作品なのですが、全体を通すとそれでも誰かを信じたい気持ち、生きていくことの尊さと人間讃歌に満ち溢れた作品だと思います(なんだこれは?となるトンチキなお話も多いですが)。
最終決戦でもアスカ、マホロが瀕死の重体に陥り、償いの為に死ぬことも覚悟したが、らんるとアバレンジャーという作品はそれを許さなかった、生き続けたいと願った仲代先生の死があったから、そしてアスカとマホロの赤ちゃんが待っているから。
凌駕も舞ちゃんのお遊戯会を見るために絶対死ぬわけにはいかないと生きる為に戦った。普通だったらここは世界を守るために戦うと掲げるものだが、凌駕のシングルファザーの設定を忘れず律儀に作劇を続けてきたのもこの作品の立派な所だと思う。

生きるもの全てを元気にする力

本気でなければ生まれない力

挫けそうな時に勇気をくれる力

人々誰もが持ってるダイノガッツ
人生色々あるし上手くいかなかった時、不意に「死にたい」「消えてなくなりたい」とネガティブになったりすることは誰にでもあるだろう。でもそうなった時、信じる為に戦った、生き続ける為に戦ったアバレンジャー達を思い出して少しでも自分を奮い立たせることができるパワーを貰える気さえしてくる。
9月1日から始まる「20th許されざるアバレ」初見で図々しいが当時アバレンジャー観てた人が劇場に足を運んでくれたら嬉しいななんて思うし、当然自分も観に行く予定です。
20年前から生き続けてこの作品に出会えたのだから。


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