戦争災害報告-case01

記憶の始まりは、違和感だった。
身体の中で、本来居てはいけないはずの冷たさが震えている。必死の形相から視線を下ろすと、敵兵の銃剣が深く自分の体を貫いているのが見えた。直後に鋭い痛みが走る。思わず膝をつくと、喉の奥から泡立った血が登ってくる。不快感にたまらず吐き出した。ドロっとした血が口の端を滑る。刺された。致命傷だ。
ここまで上官の命令に背くことも無く、誠実かつ必死に戦場に食らいついてきたが、それももう、あっけなく終わるらしい。
改めて自分を刺した者の顔を見る。若い。歯をガチガチと鳴らしながら懸命に銃剣を持ち直そうとしている。おそらく新兵だろう。
何をそんなに怯えている?大戦果じゃないか!これでも僕はなかなかに位が高くて……
などと冗談を言ってみたが、相手は悲鳴をあげながら遠ざかってしまった。それもそうだ。ゴポゴポと口から血を垂れ流しているのだから、まともに聞き取れるわけもない。そこで怯えている彼からすれば、化け物が悪態をついているようにしか聞こえなかっただろう。実際、殺し合う身ではお互い化け物のようなものだが。
彼は冷たくなりつつある僕の身体から、ようやく銃剣を引き抜くことに成功した。傷から血が溢れ出す。新兵は震えつつ、情けない声を上げながらも僕の身体に改めて銃剣を突き付ける。次がトドメになるだろう。
最後にせめて、兄にもう一度会いたかった。同じ部隊では無いが、同じ戦場にいるはずの兄。僕の愛するたった1人の家族。
皮膚に弱い痛み、兄の顔、肉が裂け、兄の大きな手のひら、冷たい異物感、にいさん。
突如、新兵は額から鮮血を撒き散らし倒れ伏した。
銃声は聞こえなかった……はずだ。血を失いすぎたこの体では、意識しなければ爆撃の音すら聞き取れない。
耳に意識を集中すると、近くで僕の名前を呼ぶ声が聴こえた。
「おい、大丈夫か!?クソっ傷が深い……」
兄さん、兄さんだ。兄さん、僕頑張ったんだ。何人も殺して何人も蹴り落として、勲章を沢山貰ったんだよ。兄さんが元気そうで良かった。僕はもうダメなんだ。さっきから瞼が重くて重くて、眠ってしまいそう。耐えられないんだ。
気付けば兄が僕を抱えて、不器用な手に包帯を握りしめて、必死に止血を試みている。
これからどうなるんだろう。死んだら、天国に行けるかなぁ。沢山殺しちゃったから、ダメかもなぁ。兄さん、兄さんは死んじゃダメだよ。ぼくよりもずっとながくいきて、しあわせにならなきゃ。
兄は泣いている。手の施しようのない僕の体を抱えて、何か叫んでいる。もう、聞き取ることは出来ないけど。きっといつもみたいに僕を元気づけてくれてるに違いない。
とてもねむいから、そろそろおわかれです。しんでしまうさいごのいっしゅんまで、にいさんのかおを、みていたかったけれど。もうちからがはいらない。くらやみ。

かんだかいおと。あたたかい。ごとり。なんのおとだろう。なんでこんなにあたたかいんだろう。たくさん、聞き慣れた音。
兄さんの声が聞こえない。見とってくれていたはずの兄さんの、腕の力を感じない。考えるな。違う。兄さんは生きてる。今も僕のことを最後まで愛して、見送ってくれてる。目を開けるな。うるさかったのは銃声だろうか?目を開けるな。暖かいのは血だろうか?目を開けるな。最後の音はきっと……
兄さんには首も頭もなかった。僕を抱えたまま、そのぽっかり空いた穴から血を吹き出し続けている。視界の端に黒くて丸い何かが映る。綺麗な黒。まるで兄さんの美しい髪のような
嫌だ、違う、嫌だ、兄さんは死なないのに。僕はまだ死んでないのに。目の前に広がるこの光景はなんだ。なんなんだ。
首があったはずの場所を必死に抑える。血の勢いは強く、手のひらの端からどくんどくんともれ出していく。頭も拾わなくちゃ。くっつけて元通りになるように。兄さんの頭はどこに落ちてたっけ。誰がやった?これは誰がやったんだ?これは誰がやったんだ?これは、誰が、これ、こんなことしたんだ?殺す。殺してやる。殺さなきゃ。兄さんごめん。兄さん、兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄

咲いた。

それが記憶の終わり。
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『災害者記憶抽出データ』より

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