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「キリエのうた」~漂泊する無辜の魂

 私は、いつも見ていた夢があった。クジラが群れる海に佇む夢、土砂降りの雨の中何かに追われる夢、何か大切な物を失って泣きじゃくる夢。どれも美しく、そして恐ろしかった。自分を取り巻く狭量で下らなくて退屈な世界なんて無くなってしまえばいい、と蟻の巣をジョウロで水浸しにしながら幼い日の私はいつも思っていた。大人の世界は狭い植木鉢の中で自分がどれだけ水と日光を独り占めできるか、それしか眼中に無い。人間は信用のならない生き物と決めつけているちっぽけな人間の子供だった。「まるで今日のことなんて思いもしないで」。

 キリエ、とは岩井俊二監督の本映画の主人公の名前(厳密には姉)であり、ラテン語で“主よ”と神に呼びかける意味でもあり、“主よ、憐れみたまえ”で始まる憐みの賛歌を指す。この映画に描かれている人々は窮屈な世界から外の明るみに出ていきたいと願いながらも、世間の荒波に抗うことができずに夢が潰えたり、天涯孤独になって故郷に戻れなかったり、過去の悔恨の中でしか生きられない、不器用で寄る辺の無い人々が人生のところどころで邂逅し肩を寄せ合って生きている。人は生まれながらに孤独を背負って生きている。人と人が重なる部分に光や影ができて人生が歯車のように動いている、ただそれだけだ。すれ違う見知らぬ人が振り向く一瞬、互いを認識し言葉を交わすか否か、たったそれだけの偶然で思わぬ方向に人生が動き出す。

 東日本大震災という未曽有の大災害からすでに12年が経過した。私は、あの日のことをまるでビデオテープが自動的に巻き戻って勝手に再生されるように今でも脳内の映像で観ることができる。映画での地震より倍以上長く激しい揺れであったし、人々がパニック状態に陥る様子や平地を舐めるように大津波が襲った場面やその中にあらゆる物や人が飲み込まれていく様子も実際に目にしている。きっと、この先もずっと忘れることができないだろう。あの地震のあと、ずぶ濡れになって家族と固く手を繋いでいたのに自分が手を緩めてしまって行方が分からなくなってしまったとずっと泣いていた人、何もかも失ってしまってどこにも当たりようがなく暴言を吐いてまわる人(私はこの人に殴り掛かられそうになった)、電話が全く機能せず安否確認に翻弄されたこと(映画で地震の最中電話できたのは地域によるのだろうか)、3月なのに雪が降ったこと、津波がひいた次の日の朝焼けが綺麗だったこと、他にもたくさんの映像が、声が、自分の中で再生される。記憶は風化することなく、体験者たちの心に深く、どこまでも深く刻まれている。

 映画の中で、主人公の路花の姉、キリエについてその恋人の夏彦が、津波で行方不明になって悲しい反面ほっとしている自分がいた、と言っていたことが何だか解るような気がした。私も、嫌いな人や堅苦しい家、噂好きでそのくせ自分のことしか考えていない人の多く住む町なんて消えて無くなってしまえばいいと思っていた。しかし、実際に跡形もなく町が消失したのと同時に、そこにあったザリガニ釣りをした池や路地、初恋の人や同級生や同僚やほかにもたくさんの思い出の中にある大切な風景が一瞬にして波間に消えた。私の嫌いな人にも自分の家族や友人や大切な物があったに違いない。そう考えると、かつて世界の消失を願った私が罪を背負ってしまったような気がした。それ以来、私は死んでしまった人々の生きられなかった人生を自分の中の善の選択によって昇華しなければならないと思い、身を粉にして働き、他の人になるべく親切にするようにしてきた。

 時の重さは震災当時日本中で助け合おうとしていた人々の心を、次第に元の放埓な状態に戻してしまい、現在さらに混沌としているように思う。震災孤児の問題と現在の主に若者の家出問題や売春問題は何が違うというのだろうか。いずれも見ず知らずの異邦人である近隣者がほんの少しの愛情を注いでやれば救い上げることはできるのではないだろうか。自分が不幸せだから他のもっと不幸せな人も同じように苦しめばいい、世間の常識でものを考えられない人は自分たちの視界に入らないようにしてほしい、等々の人間の暗い本音と怨念がこの世界を蝕んでいる。そんなおぞましく不条理な馬鹿馬鹿しい世界の片隅に、路花(ルカ)=瓦礫の中の小さな花は咲いている。

追記: 大津波警報が発令されている時は河川の付近に行ってはいけません。(映画を観て思いました)


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