原始のスープ
文章を書くことは、可能性を狭めていくこと
という意味の発言を、田中泰延(たなかひろのぶ)さんがされていた、
と思う。うろ覚えなんだけども。
ともかく深く首肯したのを覚えている。
頭の中にあった、面白い文章になるはずだったイメージ。
知的で素晴らしい文章になるはずのイメージ。
一文字一文字、書くたびに、タイピングするたびに、
ありきたりで紋切型で、独りよがりな、うすらサムイ文章へと輪郭を形成していく。
あたかも生命が誕生する前の栄養たっぷりのスープのような原始地球の海。それがだんだんと輪郭をもつにしたがい、不定形でぶよぶよのゼリー状の生きもの。生まれてはいけない生物を生み出してしまうのだ。
一人称は「オデ」。
「オデ、ことバ、ハナス」
「ブンショう、かク」
「オモしロイコトヲかク」
みたいな感じdeお話しするモンスター。
哀愁が漂う。
対話はできているようで、そうでもなく。
相手の音声に対して、決まったパターンで回答しているような。
腐臭を放つ哀れなモンスター。
そうです、これは肥大化したわたしの自意識。
あるいは、そういった臭みを抜き切るとしたらどうか。
限りなく自意識を漂白していく。
鉄鍋の人のように。
「カカカー」とか笑いながらレバーを牛乳につけるように。
臭みを抜いて、抜いて、抜いていく。
しかしそうすると、文章は無機質でつまらないものになり果ててしまうのではないか。
書く前には、無限の可能性を秘めていたものが、眼前に顕現することによって、しょぼくてみすぼらしい、漢字とかひらがなとかカタカナとかそういうものの単なる羅列になっていく。
しかし、あるいは何か新しい地平に到達するのかもしれない。
難破した船が嵐の中を偶然にも生き延びて、太陽のさんさんと照り付ける無人島にたどり着くように。
漂白しきった先、真っ白くなってしまったそんな僕のカンバスにも何かストーリーが宿るかもしれない。
どうやら白には200種類あるらしいから。
あるいは書く前には決まっていないのかも。
観測されることにより状態が定まる量子的ふるまいのように、書き上げるまでは、そもそもどちらになるかは分からないのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
とはいえ、結局はどちらかでしかないというのであれば、どうしようもないのだけれども。