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テニスクールのパイオニア1

 WoodtennisのブログをFC2ではじめたのは、2009年12月9日です。その翌年に初代iPadを購入しました。これがインターネットへの自分の中の参入であり、その後は複数のSNSに登録して、いろいろと試してきました。 #たまに昔の記事を読むと懐かしい 😄 #発売日かその翌日くらいにアップル心斎橋に行ったら買えた 😆

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この初代iPadで初めて購入してダウンロードしたのは経営コンサルトタントの神田昌典さんという方の本でした。 #一緒に小飼弾さんの 『仕組み進化論』も購入した✌️  #←どっちかというとこっちの方がバイブル👍

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 この本の第二章に出てくる『商品ライフサイクル』ということを、私はこれまでのテニスコーチとして、テニススクールの責任者として常に頭に入れて仕事してきました。この頃に自分なりに予測したテニススクールの商品ライフサイクルは2020年でした。 #だから 「どのみちなくなるよ」が口癖😁

 事業であれ商品であれ、それぞれに季節性のような成長曲線があり、それを『導入期』『成長期』『成熟期』と3つに分類しています。これをこの本では『商品ライフサイクル』とよび説明されています。それでは、まずこの本より『商品ライフサイクル』について書かれたクイックスタディガイドを抜粋します。

・全体事業のうち、約80〜85%の売上はライフサイクルの成長期でつくられたことになる。したがって残りの75%〜10%づつが、導入期と成熟期でつくられる。
・ライフサイクル成長期の商品を活用して、最も費用対効果的に新規客を獲得し、その後、リピート販売を促進していくことが最も安定したビジネスモデルである。
・ライフサイクルは導入機、成長期、成熟期が同じ年数になる。すると導入期がどの程度、続いたのかわかれば、成長期がどの程度、続くのかも予測できる。
・成熟期になっても、新しいSカーブが描ける場合には、事業として存続し、また新たな収益源を生み出すことになる。
・現在は事業(および商品)ライフサイクルの短命化の結果、どの企業も成長カーブの上でのどの季節にいるのかを把握しなければ、経営の舵取りは不可能になった。

#ダイヤモンド社  60分間・企業ダントツ化プロジェクトより

 つづいて、時期それぞれの特徴について簡単に説明します。

導入期

まだ誰にもその事業や商品のことは知られていません。認知もない中で開発途上でもあるため、失敗も多く採算は取れていない時期です。

成長期

導入期の試行錯誤を経て、突然結果がではじめます。数字的には二桁成長みたいなことが連続で起きたりします。認知度も同じように急激に上がるため、ライバル企業、チームが同一商圏内に相次いで参入しはじめます。新規も、宣伝広告の反応率も、売上、利益もどんどん上がる時期です。ただし成長期の後半には徐々にこれらの数字が下がりはじめます。

成熟期

数字は急激に悪くなり、業界内部の淘汰がはじまります。早々と見切って撤退するところも出てきます。成長期にヒットした商品を加工したり、付録をつけたりと様々な工夫をして悪くならないよう努力しないといけなくなります。

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 当時の私が、自分のいるテニススクール業界は商品ライフサイクル上のどこにいるのか、今後はどうなるのかという予測を立てるのに調べたのがVIP TOPテニスでした。厳密にいうとテニススクールという商品ライフサイクルは日本で2つあり、VIP TOPテニスがつくった成長曲線は第二次にあたります。それでは、なぜ第二次テニスクールの商品ライフサイクルを調べるにあたってVIP TOPである必要があるのかを書きます。

中島康博

 VIP TOPテニスの親会社である高木工業株式会社の取締役を歴任して、現在は上席顧問である中島康博さんを抜きに第二次テニススクールは語れません。私が現在所属する会社に入ったときの新入社員研修で講演もしていただきました。 #そのときの話の内容は教えることができません ✋ #←現在の会社に属していることによって得た情報は一切公開いたしません✋

 第一次で、皇太子殿下結婚のきっかけになった軽井沢のテニスコートから大規模なテニスブームが生まれました。その頃に国内各地にテニスコートが出来て、そこにテニスクールもはじまりました。当時はテニスをしていなくても、ラケットを持って歩いているということがお洒落な時代で、テニスコートではなく、都会のコンクリートの壁は壁打ちテニスをする人で溢れるほどでした。テニスコーチは、一部のお金持ちしか出来なかった硬式テニスをやったことがある人自体が貴重で、そんな経験者や上級者が、テニスをはじめる人をグループにして指導していました。それがいつしかビジネスとなり、各地に商業テニススクールがオープンしました。今では考えられませんがコート1面に20人とか入り、三列で一人一球交代でフォアハンド→バックハンドと打っていくような流れ作業のようなレッスンで、主なアドバイスは握り方を説明したらひたすら「はやく構えて」「足を使って」「低く」くらいのもんでした。

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#ベースボールマガジン社  テニスマガジン1979年2月号より

 そんな第一次テニスクールも成長期を迎え、経済成長とともにテニスをする人は増え、それにテニスクール側も指導する側も油断と慢心が出始めました。テニスが上手いことにあぐらをかき、手抜きのレッスンが横行して不祥事も起こりました。そして第一次テニススクールも成熟期へと入って行きます。そんなときに現れたのが中島康博さんでした。テニススクールを指導する場ではなくサービスとしての場へと生まれ変わらせ、生徒さんからお客様へと時代を変えたのです。テニスが上手いよりは、若くて礼儀作法、マナーを徹底的に鍛えたコーチを揃え、足元がすぐに汚れる、雨でレッスンができない外のクレーコートからカーペットコート、冷暖房完備でキレイなシャワールーム、更衣室を兼ね備えたインドアコートへと変わっていきました。この現代の大手インドアテニススクール運営会社が手がける第二次テニスクールは全て中島康博さんが作り上げたといっても過言ではありません。

 では、この第二次テニスクールの商品サイクルを調べてみましょう。データは中島康博さんが1945年生まれであることと、VIP TOPテニスの沿革のみです。

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#高木工業株式会社  ホームページ 会社沿革より

 中島康博さんは大学卒業後に、少し企業勤をした後にプライベートレッスンコーチになりました。そこで生徒さん一人一人のデータを細かく記録して、そこから次のテニスクールはこうなるというものを作り上げていきました。それを最初に形にしたのが1975年に開校したVIPインドアテニススクールです。ここからわかることは1970年頃が導入期のスタートであることです。そして1985年にはテニススクールを事業部化し、1997年以降に立て続けに新たなテニススクールをオープンさせています。これらのことから導入期は1970年から1990年あたりだと推測できます。

 1995年あたりから2008年あたりまで次々と新規店舗をオープンさせ、同時期にはメガロスやノアインドアステージなどという現在では大手のインドアテニスクールも全国展開したり、店舗を増やしています。ただ、2012年にTOPインドアステージ氷川校で卓球スクールを併設しています。つまり、既存の仕組みに新たなサービスを導入しはじめています。また、2008年以降は新規店舗も運営委託が増えています。導入期と成長期、成熟期は同年となるわけですから、導入期は20年です。1990年を成長期の開始だとすると2000年頃が第二次テニスクールの頂点でそれ以降は成長期の後期へと移行して2010年からは成熟期であると予測できます。

 2015年頃からはVIP TOPも移転や閉校することが増えはじめています。大手の運営会社も海外進出や他スポーツや学習塾とのコラボなど成熟期ならではの変換が行われはじめています。2015年頃を成熟期のスタートと考えると、そこに20年を足せば2030年となります。ただ、現在のウィルス問題はその成熟期間を短くする勢いもあるので、もっと早くに衰退をすると予測するのも妥当かと思います。

 私は2002年にテニスコーチになりました。成長期の後半に入ったことになります。30歳代のテニスコーチは成熟期に入ったことになります。20歳もしくは今からテニスコーチになろうと思っている人は成熟期の末期、いわゆる衰退期に入ることになります。私はこのことに10年前には気づいていました。しかし、この業界を離れませんでした。脱出するというのも賢い選択だったかもしれません。ただ、終わるのは第二次テニススクールであり、第三次テニスクールのパイオニアになりたいという夢があります。第二次テニスクールのパイオニアである中島康博さんを評価しているからこそ、中島康博さんのやり方を逆行してきました。だから、今日のお天気のように寒くて風当たりの強い日が続きます。しかし、朝明るくなるのは少しだけ早くなりました。少しづつ春の気配が感じれると嬉しいです。 #衰退するのはテニスクール業界に限った話じゃないけどね 😁 #自民党もトヨタ 、日産も…😁

つづく





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