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セーラムオープンテニス大阪の思い出(1993年、94年3月31日)
記憶には短期記憶と長期記憶があります。本記事では記憶力が著しく悪い私の長期記憶だけに頼って書いた記事です。内容は28、29年前の出来事です。当時の私は中学2年、3年生であり、その出来事に関して何かメモや日記で残している訳ではありません。ただ、父親がカメラ好きで、キャノンやコニカミノルタのカメラや望遠レンズを所有しており、この出来事の写真が当時としては高画質で数十枚残っていました。たまたま昨日、Twitterでのつぶやきに、この出来事をふと書いたところ、著しく記憶力の悪い私が、この出来事に関しては、えらく鮮明に覚えていることに気づきました。そこで『記憶』について少しググってみると長期記憶には『意味記憶』と『エピソード記憶』の二つに分類できるそうです。前者はいわゆる知識で、繰り返し覚え直さないと忘れやすいもので、後者は経験、体験と結び付いている記憶で、繰り返しがなくとも記憶に残るものです。私自身、小さな頃から著しく悪いと思っていた記憶力というのは前者であり、後者に関しては人並みなんだと認識したので、個人的な長期記憶だけに頼った記事を投稿しようと思いました。
#ただ物凄く記憶に焼き付いてる ✌️
1993年3月31日
どういうきっかけなどで観戦することになったということは、もう覚えていませんが、恐らく第一回であった『セーラムオープンテニス大阪』を江坂テニスセンターへ父親と二人で観にいきました。当時の私は中学の部活で軟式テニスをしていました。硬式テニスを高校からやりたいと思っていた私は、当時は月に2回販売されていたテニスマガジンの愛読者でした。テニスの情報はテレビはありましたが、ウィンブルドンは夜の10時くらいからの放送でしたし、全仏オープンテニスは深夜のテレビ大阪で少しだけ、全米オープンテニスはTBSで早朝、全豪オープンテニスも放送はされましたが決勝戦だけみたいな感じでした。そのため映像としてプレーを知っている選手はレンドル、ベッカー、エドバーグくらいのもんで、あとはテニスマガジンの画像と文字情報しかありませんでした。そんな時代ですから、当時のトップ選手を生で観れる貴重な機会で、とても興奮したのを覚えています。
#センターコートでも有明みたいな立派なもんじゃなく 、大会専用に作った仮設の観客席で、選手との距離がめっちゃ近かった💓
まず、朝一番のセンターコートではマンスドルフ(確かイスラエルの選手)対ウッドブリッジの戦いでした。ウッドブリッジはダブルス世界一位の選手ということは文字情報で知っていました。実際に観てみると、とてもフォームが綺麗でした。意外だったのはもっとネットプレーをするのかと思っていましたが、意外に戦いはストローク戦でした。ただ、そのウッドブリッジが勝つのかと思いきや、ストレートであっさりと負けました。試合途中もイライラでラケットを破壊していました。一方で名前も知らなかったマンスドルフも綺麗なフォームで、山形、低いといろんな軌道を使っていたのが印象的でした。
#二人とも小さかったけど 、本当に綺麗なフォームだった👍
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続いてのセンターコート第二試合は、観戦前からお目当てのマイケル・チャンの登場でした。まず憧れたのがプレーではなく、リーボックのシューズとスパッツです。当時国内では非売品で、ポンプシューズを履けばどんなボールも追いつくんではないかとさえ思っていました。
肝心のプレーはというと、そんな印象には残っていません。ただ、どんなボールも食らいついて返すんだというイメージとは逆に、意外にポイントを取られるときはあっさりで、追いかける姿勢すらみせないこともしばしばでした。今から思えば大会の1回戦か2回戦だったはずで、短期のピーキングとしては、翌週からはじまるジャパンオープンであったことから、1年間通してランキングを維持するには、いわゆる本気ではなかったのでしょう。スコアも7−5、7−5で勝ったのですが、どちらも5−5でマイケルが吠えたのを覚えています。
#蛍光色のグリップテープだけは 、後にすぐ購入😆
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続いての第3試合は、当時のNo.1であるジム・クーリエの登場です。粘って勝つタイプかと思いきや、コンパクトなスウィングからボコボコに打ち込んで、あっという間に勝利していました。距離が近いので二の腕、脹脛の筋肉が大きいのもわかりました。
#なんか聞いたことがない鈍い打球音だった ⚡️
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この日の最終はダブルスで、マイケル・チャンと松岡修造がダブルスを組んでの試合でした。マイケルはダブルスも上手く、サーブ&ボレーもスマッシュも全てが上手かったです。とくにロブの精度が高く、何度もトップスピンロブのエースをとっていました。一方で松岡は緊張もあったのか凡ミスが多く、ボレーは後ろの壁までノーバウンドで当ててしまうみたいな失敗までありました。
#ホント絶妙 ✌️ #それとマイケルの身長が絶対に170センチない 😁 #でかいカバンの中身も気になった 😁
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1994年3月31日
このセーラムオープンテニス大阪は、恐らく93年と94年の2回だけの開催だったと思います。翌年95年は阪神大震災が起こったわけですから、震災前の出来事ということになります。
2回目のセーラムオープンは、まずセンターコートに到着すると、マイケル・チャンと兄のカールが練習していました。一般のテニススクールで行われているような手出しボールをマイケルが丁寧に打ち込んでいました。その練習は私からみても手抜きはなく、とても真剣な空気が流れていました。その後にサンプラスの練習になったのですが、サンプラスの練習は一転して、ダラダラ感たっぷりで、適当にラリーしたら(アウトミスが多かった)20分ほどでセンターコートを出ていきました。
#ニック・ボロテリが長年連れ添ったアガシと別れて 、当時ベッカーのコーチとして帯同して練習してた🎾
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そしてセンターコート第一試合にアンドレ・アガシが登場しました。前年はケガで多くの試合を欠場していたのですが、見事にシェイプアップしてキレキレでした。試合は圧勝でしたが、それ以上に印象的なのが、ストロークのスィング時に全く頭が動かないことでした。ドンっと止まったかと思えば、次の瞬間にクルッと体が旋回します。体が一回転するような旋回なのですが、ほとんどミスヒットがなく、頭が前を向いたまま全く動かないのです。後日このイメージで打ってみると、体の旋回と頭を動かさない雰囲気は真似できるのですが、全くボールに当たりませんでした。
#アガシの当時ランキングが3桁で主催者推薦の出場だったけど 、格が違った✋
#ベッカーは上から下までLOTTO着用してた 😆
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続いてはこの年の第1シードのピート・サンプラスの登場でした。朝のプラクティスのダラダラと同じような感じで試合が始まりましたが、軽く打ってるスピンサーブがものすごく弾んでおり、サーブ打って次のショットでウィナーみたいなパターンばかりでアガシ同様に圧勝でした。まさに矢のようなストロークが空いてコート深くを突き刺し、相手が角度をつけると倍返しで切り返していました。
#真似したら間違いなくテニスエルボーになるよ 😆
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続いての試合はイワン・レンドルでした。すでに選手生活としては晩年でキャノン砲といわれたサーブ、ストロークは影を潜めていた印象でした。試合もライオネル・ルーというノーシードのフランス人選手にストレート負けしていました。
#でもライオネル・ルーはこの大会で決勝まで勝ち進んだはず 😏
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続いてはボリス・ベッカーの登場です。体の大きさと、他を寄せ詰めないようなオーラがあり、のっそのっそとマイペースな感じで入場してきました。たまたまトイレに行こうとしていたときに通路ですれ違ったのですが、すごいオーラでした。
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サンプラスのサーブも弾んでいましたが、それ以上に高く弾み重そうでした。ストロークもゆったりとした動きから重そうなボールをコーナーに打ち分け、最後はボレーを柔らかいタッチでアングルへというパターンがカッコよかったです。
#国内で購入できないエスチューサーのラケットもカッコよかった 😄
#セーターもかっこいい 😆
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トップ選手のダブルス
シングルスですらテレビで放送することが稀でしたから、ダブルスなんて見た事がありません。そんな中で、トップ選手のダブルスのプレーを生で観れるのも貴重でした。シングルスでストロークしか見たことのない選手のサーブ&ボレーや、トリッキーなショットは素晴らしかったです。
#ただ当時は配球みたいなこと知らないから残念 😓
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他にもトップ選手がゾロゾロと
センターコート以外のコートでも、今思えば素晴らしい選手がシングルス、ダブルスと試合をしていました。今の私ならセンターコートの試合よりこっちを観てただろうと思います。
アーロン・クリックスティン
#元祖ヘビートップスピン ✊
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デビッド・ウィートン
#芝コートが強かった 、サーブ&ボレーの選手⛳️
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ヤコブ・ラセク
#スイスの選手でロセっていう選手とデビスカップで大活躍した 🏆
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アンダース・ヤーリード
#スウェーデンの地味な選手でしたが 、とくにフェッツジェラルド、エドバーグと組んだダブルスで強かった👍
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リック・リーチ
#アメリカのダブルスのスペシャリスト 。当時のデビスカップにはいつも控えメンバーで待機してた✌️
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パトリック・マッケンロー
#ジョン・マッケンローの弟 😄
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この思い出を孫たちに
著しく記憶力に乏しいこんな私が、今でもこれだけ鮮明に覚えている大会ですから、目を輝かせて、子どもたちの記憶に深く刻まれ他のは、当時私だけではなかったでしょう。こんな大会をこれからの子供たちにも見せてあげたいと強く思います。ただ、これからの日本でこのような大会を開催することはとても難しいでしょう。震災後にセーラムオープンテニスは確か上海に移ったはずです。現在、アジアでこのくらいのトップ選手が集まる大会は中国くらいです。経済規模からみても中国の次に開催できそうなのはインドやインドネシアの方が有力ではないでしょうか。規模だけなら現在の楽天オープンも少し落ちる程度でしょうが、有明のセンターコートは広すぎてトップ選手を身近に感じれません。私の理想はやはり江坂テニスセンターで行われたセーラムオープンテニスです。
息子たちにこのような体験をしてもらうことは叶いませんでしたが、いずれ孫たちにこんな大会があればいいなと思います。ただ状況から推測しても、願っているだけでは不可能に近いので、いずれ自分の力でこんな大会を開催できるようになりたいと思いました。
#具体的にどうすんだよって聞かないで 😆 #謎の自信があるだけ😁
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