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曼荼羅の高野山:Koyasan in Mandala

   南海電鉄高野線の電車は、橋本をすぎた辺りから勾配のある鉄路をのぼりはじめ、極楽橋に着くと、そこから急峻な崖のような急勾配の斜面をケーブルカーで登っていく。
   高野山駅からバスに乗り、くねくねと曲がった坂道をのぼっていくと、女人堂辺りから急に平坦な道になった。数多くの寺院の前を通りぬけて奥のほうまで進んでいく。
   奥の院口から樹齢何百年の苔むした杉木立の道を抜けて奥の院までいき、弘法大師御廟を参拝して、刈萓堂にいき、色づきはじめた紅葉をながめ金剛峯寺、壇上伽藍を参拝した。

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   わたしは、あらためて空海がこの地に真言密教の壇場をひらき堂塔を建立したのだと思い、よくぞ、こんな山上に数多くの寺院が連なる天空の宗教都市ができたものだと驚きを禁じ得なかった。
   気がついたときには昼もだいぶ過ぎていて、遅い昼食をとるために“ごまとうふ”の店の前に並びました。
   椅子に坐って、こんな山上なのにどうして平坦なのだろうか、などと話していると、隣に座っていた紳士が、どこから来られたのですか、と声をかけて来て、次のように教えてくれたのです。
   高野山というのは、山上にありますが、ここは盆地になっていて、和歌山は雨が多いこともあって、こんな山の上でも湧き水が出るのです。弘法大師はそんな土地を見つけて、ここに寺を建てたのです。
  私がしきりに感心していると、その紳士は次のような話もしてくれました。
   比叡山延暦寺の最澄は、官費で中国に渡ったのですが、弘法大師はいろんなところで説法をしながら自分で資金を集め自費で中国に渡ったのです。中国に渡ってからも経典などを手に入れるのに膨大な費用が必要だったのでしょうが、それも弘法大師は自分で集めたのです。それだけの資金を集めることができたのは、弘法大師という方は相当口が達者だったのではないでしょうか。
   私が自費で中国に渡った弘法大師は好感が持てますね、と言うと、その紳士は、是非「霊宝館」にお寄りなさい、運慶、快慶の国宝が見られますから、それらの作品はミケランジェロの彫刻にも勝るとも劣らない、素晴らしいものですと、勧められるのです。
   そんな話をしていると、店内に案内されました。メニューを見ていると、胎蔵懐石というのがあります。説明を読んでみると、真言密教の聖典である「胎蔵曼荼羅」は十二の区画によって形成されているという。その中央に赤い蓮の花が描かれており、その蓮の花の真ん中に大日如来が描かれ、その周りに四仏と四つの菩薩が描かれているという。胎蔵懐石というのはそれを模した料理だという。

   早速、「天空般若」という地ビールとともに注文してみると、丸い竹籠の真ん中に、蓮の花の形をした、やや大ぶりな鉢のなかに木野子ソース掛けの“ごまとうふ”が盛りつけられ、その周りに八つの小鉢にそれぞれ違った“ごまとうふ”が盛りつけられているのです。食べてみると、濃厚な “ごまとうふ”の味がして、それぞれがみな美味しいのです。

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  “ごまとうふ”がこんなに美味しいものだと知らなかった私は、ピスタチオがトッピングされた“ごまとうふ”のデザートも注文して、キャラメルソースをかけて食べてみると、香ばしいコーヒーと相まって、これまた大変美味しいのです。

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 高野山の“ごまとうふ”にすっかり魅せられたわたしは、夕刻のせまるなか霊宝館にむかいました。紳士の方が言われていた通り、快慶、運慶の像は素晴らしく、なかでも運慶の「八代童子立像」がわたしは気に入りました。また、わたしが嬉しかったのは、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅のレプリカが展示されていたことです。

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   胎蔵曼荼羅をながめていると、なぜか、密教というのは、人間には、まだ解明されていない無限の可能性を秘めた、広大な未知の世界があり、その無限ともいえる未知の宇宙を畏れ、敬うという、どこか土俗的で、不思議な神秘主義的なものに根差しているのではないだろうか、と勝手な想像が湧いてくるのです。
   そのあと、暮れなづむ夕日を背景に大門を見て天空の宗教都市・高野山をあとにしたのです。

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