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インターホンを無視したら少しだけ後悔したという日記

 普通の家はどれくらいの頻度でインターホンが鳴らされ、どのくらいの割合で玄関を開けるのだろうか。


 私の家は、宅配業者はもちろん、週1くらいのペースで営業周りのスーツを来た男性、信仰心がとても篤そうな人、推定思想が強そうな人のいずれかがそのボタンを鳴らすが、多くの家庭がそうであるように、宅配業者以外に対してそのベルが効力を発することはない。


 その一例として、この間インターホンを鳴らした女性は澄んだ瞳でカメラをじっと見つめ、鳴らした直後と立ち去る時に画角からはみ出るほどのお辞儀をしていた。

 これがもし野生の昆虫であったら、目線があった瞬間に私は間違いなく捕食されていたであろうし、どこかの哲学者よろしく、自分が見つめている時に相手にも見つめられているということを心の底から実感させられた。今思い返せば、去年一年にあった数多くの出来事の中で、理解できない恐怖があるということを最も効果的に教えてくれた出来事だ。一体どこの宗派の方だろうか。


 そんな感じの先例を知る由もなく、今日も設計上は開くはずの玄関のためにベルを鳴らす来客者候補が来た。髪は使い古された箒のように振り乱され、マスクで顔を覆わない女性がインターホンのパーソナルスペースを無視するかのようにこちらに近づく。どう見ても宅配業者ではないし、経験則上、考え方が独創的な方である可能性が高いので、私は息を潜めながら檻越しの動物を眺めるかのように観察した。

 幸いにして、1プッシュで立ち去ってくれたのだが、なにやら後ろに見慣れないノボリがたなびいている。好奇心に負けて、窓から視線が合わないように外を覗き、どんな思想についてのノボリなのかなどと思索をしつつ、7割程度しか見えないノボリとそれがついた自転車に視線を合わせた。



「生プリン」



 全く想定していなかった文面だ。


 人を見た目で判断してはいけないことはよくよく知っている。が、しかし、どんな事情があったら生プリンを掲げてチャリンコを走らせるのか? というか、生プリンという文面を掲げていいのは渋谷区くらいじゃないのか?

 なぜ生プリン屋が豆腐屋のノリでチャリで行商に来るのか、なぜ時勢柄、食品と全くマッチしない見た目の人が来たのか、そもそも生プリンってなんだ、生じゃないプリンって? 防腐剤入りなの? とか、多分今後死ぬまで感じることがないし、感じたくもない疑念に駆られつつ、呆気にとられて外を澄んだ瞳で見つめる内に、ノボリは視界の外へと立ち去っていた。


 今思えば、インターホンの呼びかけに応えるか、叫んででも止めてその正体を暴くべきであったのかもしれないが、人間、想定外の出来事が起きるとただ呆然に佇みながらその思考を寂しく張り巡らせる程度のことしかできない。


 あの人が本当に生プリン売りであったのか、それとも「生プリン」に関して政府や自治体に訴えたいことがあったのかは分からない。

 というか生プリンの「生」の読み方が「なま」なのか「き」なのかも分からない、書いていて気になってきたが、今となっては知る術もない。このインターネット時代にGoogleで「生プリン 自転車」で調べても、それらしき業者も団体も引っかからないのだから。


 このままだと夢に生プリン売りが出てきそうな勢いだ。想定より高くても生プリンを買うし、マスクも贈呈するから明日も来てくれないだろうか、せめてチラシくらい置いてから立ち去ってくれないものか。


 いや、本当に何者なんでしょう。すっごい消化不良な気分です。

フタコブラクダのコブを同意の上で上下左右計13個にした後に、黄色いおべべを無理やり着せる活動がメインです。最近の悩みは鳥取県の県境を超えられないこと。