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木箱記者の韓国事件簿 第19回 なじみの眼鏡店

 明洞の地下街にずらりと軒を連ねる眼鏡店。数ある眼鏡店の中からその店に入った理由は特になかった。眼鏡を買いに来たのはいいが店が多すぎてどこに入ればいいのかわからず、適当に入ったにすぎない。

 韓国に来て1年ほど過ぎた2000年7月のことだった。店頭でフレームを見ていた私を招き入れた店主は、私が日本人だと告げると日本語で話し始めたが、私が旅行者ではなく駐在員であり、なおかつ韓国語も話せるとわかると韓国語に切り替え、1冊の本を取り出した。店主が書いた短編小説集で、幼少期の思い出をつづったものだという。眼鏡店の店主なのに小説を書いているとはなかなか不思議だ。サイン入りの本をプレゼントされたのだが、残念ながらいまだ読破には至っていない。短編集なので1編あたりのページ数は少なく読みやすいのだが、やはり韓国語の本を1冊読むのはなかなかしんどい。それでも後日購入した眼鏡を取りに行く時に知らぬふりはできないので数編は読んでおき、再訪時にはいちおう感想のようなものを述べ喜ばれた。

 この一件もあり、その後眼鏡の購入は現在に至るまでこの店しか使っていない。日本にいたころは眼鏡も安くはなく、1本の眼鏡を使い続けていたが、韓国に来てみたら眼鏡がお手頃価格なこともあり、予備に1本買うつもりだったのが気がつけば1年に数本ずつ買うようになり、私にとって眼鏡は単なる矯正器具ではなくいまではすっかりファッションアイテムになっている。

 すっかりなじみの眼鏡店となったおかげで、明洞地下街で店の前を通りかかると呼び止められてドリンク剤をごちそうしてくれたり、眼鏡を買うと日本人観光客用に用意している韓国のりセットをくれたりとサービスしてもらっている。いただいてばかりでは申し訳ないので、日本から来た知人から眼鏡を買いたいというリクエストがあればこの店に案内するようにしており、案内した知人は10人を超えている。ここに案内するとなじみ客ということで、私の顔で若干の割引があるため知人にも好評だが、知人を案内すると後で私が眼鏡を買う時にも割引率が上がるというメリットがある。眼鏡店にはお客が来ることでメリットがあり、知人も割引価格で眼鏡が買えるメリットがあり、私にも割引率が上がるというメリットがある、「三方一両得」の関係が築けていると勝手に思い込んでいる。ただそれほど単価の高くない眼鏡を割引価格で販売して利益はどれだけあるのかと心配にもなる。

 そういえば何年か前にはこんなことがあった。日本人顧客が書いた顧客カードを基にエクセルに入力してほしいという依頼だ。店では毎年顧客に年賀状を送っているのだが、日本語入力のできる人がいなくなってしまい困っているというのだ。長い付き合いの店なので引き受けることにし、200人分ほどの顧客カードを預かって持ち帰り、2時間ほどですべて入力を終えた。日本語入力ソフトは郵便番号を入力するだけで県名から字名まで一発変換するので大した労力ではないのだ。入力を終えエクセルファイルを持って行くと店主は喜んでくれ、報酬代わりに眼鏡を1本新調してくれた。バイト代としては悪くなかった。

 眼鏡店は15年以上の付き合いで、いまでも愛用している。先日は初めての遠近両用眼鏡をこの店であつらえた。店主には「もうそんな年齢になったのか」と驚かれた。この店に初めて来たときはまだ20代後半だったのだ。店の入れ替わりが激しい韓国で長い付き合いのできる店は多くない。気がつけばこの眼鏡店は韓国に来てから最も長い付き合いのある店となった。眼鏡の度が進んだり老眼の兆しが見えたりで、これからもこの眼鏡店との付き合いは続きそうだ。

初出:The Daily Korea News 2016年11月21日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

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