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木箱記者の韓国事件簿 第6回 不法就労と日本への帰国


 大きな声では言えないが、韓国で不法就労をしていたことがある。15年前のことなのでもう時効だろう。念のため調べたところ韓国では15年あれば無期懲役または無期禁固に相当する犯罪も時効が成立するそうなので、不法就労の時効はとっくに成立しているはずだ。あらかじめ申し添えておくが、本稿は決して違法行為の武勇伝ではなく、まして違法行為を推奨するものではない。

 では本題。駐在員として韓国生活を続けながらもいろいろ思うところがあり会社を辞めることにした。転職先は芸能事務所。前々回の話に登場した会社だ。転職するに当たってはビザが必要になる。しかし転職先の会社は設立されてから1年ほどで、外国人を雇用した経験もなく、ビザに対する認識も甘かった。当時持っていたビザは駐在員用の「D-7」だった。これはビザの有効期限内であっても会社を辞めた時点で失効する。そして会社を辞めた時はちゃんと失効手続きをしなくてはならない。しかし私もそのあたりの認識が甘く、会社を辞めた後も手続きをしなかったため、厳密には失効しているのだが、当局がそれを感知していないことから書類上は正当なビザで滞在している状況となっていた。転職したのは3月で、ビザの満了日は7月16日。この日までに転職先の会社でビザの手続きをしてもらわなければ書類上でも滞在資格は失われてしまう。

 転職先での勤務が始まったが、正当なビザはない状態なので不法就労に当たる。この状況が続くのは望ましくないので会社にもビザの申請をするよう申し入れたのだが反応は鈍く、不安なままでの勤務がしばらく続いた。状況が一転したのは6月に入ってからのこと。前の会社の社長から「きみがビザの失効手続きをしていないから次に来る人のビザが下りない。どうにかしてくれ」と連絡が入った。ビザは無制限に発給されるものではなく、会社の規模などにより発給枠がある。前の会社ではすでに発給限度に達しており、私のせいで後任者が働けない状況という。前の会社に迷惑はかけられない。会社にこうした状況を伝え、早急にビザの手続きを取るよう進言した。

 今回は会社も早急に動き、必要書類などを取りそろえ入管当局に申請したのだが、数日後に「ビザ発給は認められない」という無情な回答が返ってきた。ビザを発給するのは韓国人に代替できない能力を持っていることが前提であり、「日本の取引先とやり取りするのに日本人が必要」という程度の理由では到底発給などされるわけがなかった。会社が設立1年ほどと実績がないこともマイナスに作用したようだ。

 ビザが出ないのであれば残念ながら退職せざるを得ない。そう申し出ると社長らは「どうにかしてビザが出るようにするから考え直せ」と説得してきたが、打つ手は尽きており、何を言われようがビザが出るという保証がない限りは辞める以外の選択肢はない。交渉は決裂するしかなかった。

 ビザ満了日の2001年7月16日。仁川空港の出国審査のカウンターで外国人登録証を返納し東京行きの飛行機に乗り込んだ。夢にまでみた韓国生活だったがわずか2年であっけない幕切れとなってしまった。韓国で働きたいという人は多いが、ビザが問題になるケースは多い。本人と会社が雇用契約を結んだからといって無条件でビザが出るわけではない。それを知らずに韓国の会社に就職したもののビザが出ず泣く泣く帰国に追い込まれたという人も何人か見てきた。当時の私もそうだった。

 不本意な帰国だったが、韓国への復帰はすぐだった。1カ月にわたる日本滞在中も会社とは定期的に連絡を取っていたが、ビザに関してはまるで埒ががあかず、最後の手段として東京の韓国領事館でワーキングホリデービザを取得したのだ。これで堂々と韓国で働ける。ビザが出なかったあの会社とはいろいろ揉めたのでもう行く気はない。韓国に戻ってからは細々とアルバイトで食いつなぎ、半年ほどで無事に正規のビザを発給してもらえる会社への就職が決まった。韓国生活で最大の危機はこうして無事に乗り越えられたのだった。

初出:The Daily Korea News 2016年8月8日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

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