見出し画像

木箱記者の韓国事件簿 第1回 連載開始のごあいさつ

 在韓20年以上という先輩が「ソウルに長く住んでいれば本の1冊は書けるほどのエピソードはあるものだ」という。ならばその先輩が本にして出版する前に本紙に連載でもしてもらおうかと思ったのだが、ちょっと待てよ、20年には及ばないが、わがソウル生活を振り返ってみてもそれなりにネタになる話があるのではないか。試しにネタを書き出してみたらそれなりの数がそろった。ひとまず連載3回でネタ切れに苦しむ事態は避けられそうなことがわかったので先輩への連載依頼はとりやめて僭越ながら私の話をみなさまに披露させていただくことにした。

 「そもそもお前は何者なのか」という声が聞こえてきそうなので、少々長くなるが連載に先立ち自己紹介をさせていただこう。初訪韓は1989年の夏休み、当時高校2年生。初の1人旅、初の海外旅行先として韓国を選んだ。いまはなき「日韓共同きっぷ」を使い、新幹線と関釜フェリー、セマウル号を乗り継いで、東京から30時間かけてソウルにやってきた。なぜ初の海外旅行に韓国を選んだのかについてはいずれ書かせていただくつもりだが、もともと韓国に関心を持っており、実際に韓国に来たことでさらに韓国の魅力にはまってしまった。当時はまだ韓国旅行といえば「キーセン観光」のイメージが色濃かった時代だ。「韓国に関心がある」などと言えば不思議がられたものだが、もちろん高校生がキーセン観光などするわけはない。1988年のソウル五輪前後に日本ではちょっとした韓国ブームが起きており、フジテレビでは深夜に韓国の音楽番組を編集して放映していた。そこで韓国の女性アイドルを知ったことが韓国に関心を持つきっかけのひとつとなった。韓流ブームが起きる何年も前から韓国歌謡界をウォッチしていたのだから韓流ファンのさきがけと言ってもいいだろう。

 その後毎年のように訪韓を繰り返し、韓国歌謡のカセットテープやCDを買いあさっていたのだが、数日間の旅行だけでは飽き足らず韓国での生活を夢見るようになり、いわゆるガテン系の仕事で資金を貯めて語学留学をするに至る。旅行と違い長期滞在となるため、そこには理想と現実の乖離が生じる。これに音を上げてしまうようなら韓国に住みたいという夢は捨てねばならず、その覚悟を持って韓国に乗り込んできたのだが、幸いなことに韓国での生活は肌に合い、予定していた半年の期間はあっという間に過ぎ去ってしまった。後ろ髪を引かれる思いで日本に帰国したが、その後も韓国への復帰を目指してガテン仕事をしながら韓国関連の仕事を探し、運良くこれから韓国事業を始めようという会社に就職できた。その会社に入社して3カ月ほどで韓国支社が設立され、さらに7カ月ほど過ぎてついに韓国支社への異動が発令された。こうして夢にまで見た韓国生活のチャンスをつかんだのだ。

 初訪韓から10年になる1999年7月にソウルに赴任してきた。ソウルでの生活はそれ以来続いているのでちょうど17年に及んでいる。生まれついての向こう見ずな性格のためか韓国赴任の1年半後にはその会社を辞めてしまったのだが、そこで日本に帰るはずもなく、恥ずかしながら結構な回数の転職を繰り返しながら、曲折を経て現在はこうして本紙の編集を担当している次第。あまり真っ当な人生を歩んできたとは言えないが、むしろこれがさまざまなネタと出会わせてくれたのならわが人生もそれほど悪い選択をしてきたわけではないのだと自分を慰めておこう。ひとまずこんな与太者ではあるが、今後の連載を楽しんでいただければ幸いなところ。以後お見知りおきのほどを。

初出:The Daily Korea News 2016年7月4日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?