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木箱記者の韓国事件簿 第3回 下宿生活の思い出

 前回下宿に住んでいた話を書いたが、この下宿という存在は絶滅危惧種とまではいかないが近年になりずいぶん数を減らしている。昔は留学生といえばほとんどが下宿に住んでおり、ワンルームに住めるのは経済的に余裕がある一部の学生に限られていた。最近の留学生は下宿よりも考試院やコシテルなどに住むことが多いようだが、私が留学していた90年代後半はまだ考試院やコシテルは一般的でなかった。下宿の衰退により下宿生活経験者も減っている。下宿生活の思い出を書き留めておくのも貴重な記録になるだろうか。

 下宿はトイレとシャワーは共同、シャワールームに共用の洗濯機も置いてある。下宿代には朝食と夕食が含まれているというのが基本だ。留学当時いちばんのメリットと感じたのは韓国人とのふれあいが多かったことだ。食事時間になると必然的に下宿生が顔を合わせることになる。ここで他の学生と仲良くなり自然と生きた韓国語を身につけることができた。語学学校で顔を合わせるのは講師以外は全員外国人だ。学校生活で韓国人とふれあう機会は多くなかったが、下宿には地方からソウルの大学に通うため上京してきた大学生も多く、食事時間は食卓を囲みながら方言や俗語、流行語に罵倒語などが飛び交い、学校では教えてくれない言葉を学ぶいい機会となった。駐在員として住んでいた時は帰宅時間が遅く下宿ではほとんど食事ができなかったので下宿生との交流も少なく、こうしたメリットをほとんどいかせなかったのが少々寂しかった。

 下宿のいい面は面倒な契約がないことだ。部屋を見に行き気に入ればその場で家賃を払うだけで契約書もなかった。契約期間も縛りはなく、1カ月住んで気に入らなければ出ていけばよい。保証金もなかったので金銭トラブルも起きにくい。当時学生街の新村には下宿があふれていたので居心地の悪い下宿に長居する必要はなかった。

 下宿代には食費も含まれている。前述の通り朝食と夕食が出る。貧乏学生にとっては家賃さえ払えれば食いっぱぐれることがない便利なシステムだ。この食事は留学生の間で下宿を評価する基準となっていた。毎日同じメニューが出たり、肉類が出なかったり、温かいおかずが出ないという下宿もある中、私が住んでいた下宿は月に1回サムギョプサル食べ放題の日があり、トンカツなども出てきたことからクラスメートにもうらやましがられたものだ。もっとも、これは下宿のおばさんによると、単に料理をするのが得意でなく毎日違うメニューを考えるのも面倒なため、たまに楽するためのメニューだったというのだが。それでも下宿生にとってはむしろありがたいものだった。

 一方、下宿の少々不便なところはトイレとシャワーが共同なことだ。毎朝登校前・出勤前には争奪戦が繰り広げられていた。トイレとシャワーが別々だったのは幸いで、トイレとシャワーが同じ下宿だとゆっくりとトイレで一服しながらふんばることもできないそうだ。これは現在の考試院も同様で、最近の留学生には自室内にトイレ付きのシャワーブースが備えられているコシテルが人気のようだ。考試院・コシテルも食事はあるが、基本的にはごはんとキムチが提供されるだけ。おかずが欲しければ共用のキッチンで自分で作らなくてはならず、住人同士の交流もほとんどない。それを考えれば韓国の「お袋の味」を毎日食べられ家庭的な雰囲気に包まれている下宿はありがたかった。

 メリットもデメリットもある下宿だが、総合的に見れば下宿はそれなりに居心地がよかった。下宿は当たり外れが大きいが、最初から当たりの下宿に入ることができたのも幸いだった。留学時代だけでなく駐在員時代も同じ下宿に住んだのはそれだけこの下宿の居心地が良かったからだ。下宿のおばさんも駐在員として帰ってきた私を歓迎してくれた。ただ時代の趨勢なのかこの下宿もずいぶん前に廃業してしまったようだ。下宿のおばさんはいまもどこかで元気にやっているのだろうか。懐かしい時代が思い出される。

初出:The Daily Korea News 2016年7月18日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

*掲載写真はイメージです。


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