友人たちの自死

<友人たちの自死>


 昨日の朝、知人が自死したと、奥様から連絡があった。

一年前、首の手術をして以来、体調がどんどんと悪化し、そんな中での自死だったと云う。

突然で自分も受け入れられないでいると、泣いている。

応対していた美枝子が「ともかく祈っている」と伝えて、少し落ち着いたようだった。


 彼はかつてディストリビューターとして、サトワミュージックのCDを多数扱ってくれていた。

一時期はインディーズとしてはありえないぐらいの枚数を彼が売りさばいていた。

しかし時代は移り変わり、CD店が軒並みクローズになっていった。

それとともに、彼の事業も先行きが見えなくなり、ローンだけが残り、子供を抱えながら肉体労働者になっていった。

その中で過労で病気になったとも聞いていた。

私達もどうすることも出来なかった。

連絡も途絶えていた。


 そして突然の訃報を受け、私達も驚きと悲しみと、そしてやりきれなさが覆った。

なんとも言えない不全感や、いきなり強制終了されたような、そして寄り添えなかったことへの悔い、、、


 これで私の友人、知人で自死されたのは4人になってしまった。

彼らは皆、病魔に侵されていた。

一人は双極性障害で、自死念慮がいつもあって、ある時、身投げした。

一人は視力を失いつつある中で、天涯孤独だったこともあり、自死を選んだ。

もう一人は筋力がウイルスに侵されて、寝たきりになる直前に母親に手伝ってもらって自害した。


 また家族が自死したという友人も多い。

残された家族は、本当に大変そうに見える。

わたしも自死念慮に取り憑かれた人に、数ヶ月関わったことがあるが、なんとかギリギリのところで命を取り留めることは出来た。

それは強烈な体験になった。


 彼らは皆、将来に絶望し、自死を選んだ。

以前世間では、筋無力症の自死に関する議論があったけど、答えを導き出すのは難しい。

彼らの立場になって、私達は考えられないのだから、何を言っても、虚しい感じがする。


 私もかつては自殺をいつも考えているような青年だった。

高校時代、原口統三や高野悦子、太宰治に傾倒し、村山槐多やゴッホなど夭折した画家たちを好んで画集などを手に入れていた。

当時は孤独、理解者の不在、悲観、厭世観、そして死の美意識に覆われていた。

中学時代に受けた校内暴力が原因だったけど、そのことを誰にも話すことはなかった。


 19歳ごろからジャズやフリージャズを演奏することで、自殺の代償行為になった。

おかげで生き延びることが出来たけど、自殺念慮は30代の後半まで続いた。

求める音楽が成就できず、絶望の淵にいた。

音楽を実現できないのであれば、これ以上生きる意味がなかった。

美枝子も息子もいたのに、、、

私には音楽しか眼中になかったし、音楽が成就しないということは死を意味した。

幸いにも瞑想に出会うことで、希望を見出し、ようやく命を取り留めることが出来たのだった。

でもそれで自死念慮が終わったわけではない。

今でも、ふとしたきっかけで死の思いがよぎる事がある。

タナトスを払拭することは出来ない。


 自死を美学で語る輩を私は信じない。

三島由紀夫も、いわゆる即身成仏なるものも、どれも死の美学にとりつかれた亡者だ。

カミカゼを美しく語るものも許せない。

本当の「死」はそんなものじゃない。


 あるカウンセラーの友人がガンに侵され、死期を言い渡された。

彼女は死を受け入れ、友人知人とお別れ会を盛大にやって、その後、自宅ホスピス的な生活に入った。

近親は娘さん一人だったこともあり、私達が交互に付き添い、看取ったことがある。

死のおとづれを受け入れ、静かに娘さんと友人たちに看取られて旅立った。

素晴らしい旅立ちだった。

残された娘さんや友人たちに悔いはなく、とても爽やかな別れだった。


 多くの別れを体験した。

どんな死に方が良いとか、語り様もない。

私だってこれから追い詰められて、あるいは衝動的に、自死しないとは限らない。


 ただ今は、いつか必ずやってくる「死のおとづれ」を、静かに待つことが、命に対する最も誠実な態度のような気がする。

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