常滑急須の歴史と面白さ
急須産地として有名な常滑。意外にもその歴史は浅く、一般の人達が使う急須が売れるようになり、産業となったのは昭和30年代以降になってからで、常滑は後発産地だったというのはあまり知られていないことかもしれません。
明治、大正と日本茶の輸出が盛んな時代、アメリカのデパートで行われた日本茶販売の催事の様子を見ると急須ではなく、紅茶用のティーポットが使われています。
常滑急須は、昭和初期に精度と生産量を向上させ、一般的に今の形の急須が使われるようになると、元々「窯業の地」であった常滑は高品質な急須を多く生産するようになりました。
産業規模が大きくなると、経済面や効率を重視し、生地制作や絵付けは分業制で行われますが、後発地域であった常滑は分業化が出来ないまま戦後の大量生産の時代に突入していきます。
一から十まで一人の職人さんが作る産地は珍しい。誰がどんな仕事をしたのか、急須を通じて知れるのは常滑急須ならではの面白さだと思います。
常滑のやきもの散歩道を歩いてみると作家性の強い作品にたくさん触れることが出来ます。急須産地としては決して古い歴史がある訳ではない常滑ですが、元々窯業の地として栄え、様々な技術が蓄積されている常滑だからこそ作れる急須もあるのだと思います。
最後まで読んで頂きましてありがとうございました!