勝負-ミリオンダラー・ベイビー-

てっきり後楽園ホールという建物があるのだと思っていた。
地下鉄の後楽園駅で降りて改札を出るなり、そういう表示を探したのだが、「後楽園ホール」は見当たらない。
地図にもそれらしき建物はなく、まさか「後楽園ホール」が後楽園以外の住所にあったらとんでもないオチだ。

あてずっぽうで東京ドーム方面へと歩道橋を渡り、周囲ぐるりをまわっていく。
ドームホテルのある裏側の付近に「青いビル」とか「黄色いビル」という馬鹿にしたような名前の建物があるようなので、ひとまずそこへ向かうことにした。

「青いビル」はゲームセンターでも入っていそうな賑々しい雰囲気のビルだが、実はこの5階に後楽園ホールはある。
後楽園ホールは建物の名前じゃなくて、大きな部屋の名前だったというわけだ。
しかし、その事実に気づくためには、「青いビル」の正面玄関まで行って、「5階後楽園ホール」と書かれたホテルの宴会場案内みたいな白いプラスチックパネルを確認しなければならず、私のような「一見さん」にはきわめて不親切な案内だと言わざるを得ない。

入り口の前には安っぽいアロハシャツやだぼついたズボンを着た見るからのダフ屋と、そのダフ屋を取り締まっているらしいかたちばかりの警備員と、それから今日の試合に駆けつけたうら若い女性客たちがたむろっていた。
だから私は、遠目にもそこが後楽園ホールだと感づいたのだ。

亀田大毅プロ第4戦。
それがその日のメインカードで、全部で8試合のボクシングが行われることになっていた。
亀田三兄弟の次男という時の人が出る試合でなければ、もしかしたら観客席が埋め尽くされることも少ないかもしれないが、確かに彼は客寄せに貢献している。

ほんの数日前、ふと思い立ってインターネットでチケットを買った。
このところ私は、余裕ができた平日の夜に、なにかこれまで経験したことのない楽しみを見つけようと躍起になっている。
ボクシングは前々から興味があったのだが、実際に試合観戦まで足を運ぶ機会のなかった、未知の楽しみの一つだった。
私はその世界にちっとも詳しくない。

照明の薄暗いエレベーターで、派手なピンクのスーツを着こんだ50前後の厚化粧の女性と、その娘らしいシャネルのバッグを持った肉づきのよい女性と同乗になった。
私はなぜか緊張して、それから少し可笑しくなった。
5階について扉が開いたときの光景は、故郷の町の古い市民ホールを思い出させた。
ガラスサッシの壁の前にいくつかの贈答花が並んでいて、その脇に間に合わせのお手伝いみたいなもぎりの女の子が座っている。
つまり、その女の子は少しよそ行きの格好をしていて、おそらく試合関係者の知り合いなのだろうが、そこに何かピアノの発表会にでも来たような「馴れ合い」っぽい空気があるのだ。

客層について一言で言ってしまえば、柄の悪い風体が多い。
平日の夜だがスーツ姿の客は少なく、大きすぎるスウェットの上下に金色のアクセサリーをぶらさげた男性や、その男性の腕にしがみつくように歩く短すぎるタイトスカートの女性や、若いというより幼いくらいのギャルグループを多く見かけた。

もちろん中には、ごく一般的な雰囲気の落ち着いたカップルなどもいないではなかったが、圧倒的に目立たなかった。
そしてもちろん、私みたいな、いかにも仕事帰りの地味なパンツスタイルの女ひとり客などというのは、明らかに異質な感じで、その感覚だけで自分が楽しい気持ちになることを、私はそこに来る前から知っていた。

正面の入り口を抜けた先に短い階段があって、その奥では既に3つめの試合が始まっていた。
夢にまどろむような白いライトの光と、躍動感に溢れた歓声がそこから漏れてきている。
私は階段を上るより先に、ささやかな売店でおあつらえ向きな軽食を求めた。
ラージサイズのレモンチューハイと箱に入った8つ入りのたこ焼き。
味だとか栄養素だとかより、こういったところでは何より気分が優先される。

必要なアイテムが全て揃ったところで、私はいよいよリングに臨まんと、その階段を上る。
全景を俯瞰するその位置で、私は後楽園ホールが予想以上に狭いことを知った。
座席数は1800席余り、面積はわずか575㎡。
一番遠い席だとしても、リング上の選手の顔がきちんと見える。
コンクリート壁の直方体全体に立ちこめた、独特の興奮がめいっぱい胸を高揚させた。

それはリアルな夢で、また同時に夢の中の現実みたいだった。
この熱を帯びた臨場感、くらくらする。

期待以上だ。

私の席からリングまでの距離は10mほどだった。
前にも隣にも、高校生らしい女の子が座っていて、中には「亀田」と大きく文字の描かれたTシャツを着ている子もいた。
彼女たちがボクシングを見に来たのが何度目か知らないが、少なくともスポーツそのものに対する知識は私と大して変わらなそうだった。

リングサイドに陣取った人々を眺めると、浴衣姿の力士や見覚えがあるような総合格闘技の外国人ファイターや、あるいは何らかの格闘技関係者と思しき体格の良い男性たちが一際目についた。
あるいは、不自由なくらい目立ってしまう小さな顔と長い脚の女性たちと彼女たちをエスコートする業界人ぽい小柄な男性の一団も見えた。
私でも名前を知っている有名な政治家や、某野球監督の妻もいた。
そんな客層にまぎれて最前列には、亀田の三男そっくりの髪型をしたほんの5歳くらいの男の子が、いかつい父と若づくりな母にはさまれて楽しげに座っていた。

リングの上の選手の名は、入り口でもらったリーフレットで確認したが、紙から目を離した途端に忘れてしまった。
名も知らぬ若い男ふたりが、張り詰めた集中力をまとって睨み合っている。

ふわりとしたステップで体を左右に揺らし、隙をうかがいながら、相手の腹や耳の際に突き出す拳。
美しく鍛えられた無駄のない背中。

1ラウンドはわずか3分だが、呼吸を止め続けるような緊張がそれを随分と長い時間に思わせて、見る側さえも疲労に震える。
ゴングが鳴って選手が椅子に体をあずける間、会場全体も束の間の休息を得るようだった。

最初のインターバルの間に、選手の略歴が紹介される。
出身地と生年月日、過去の戦歴が簡単に告げられるだけだが、それを聴いて一つの感情が沸いてきた。

たとえば、年は20歳を軽く越えて、戦歴は負け越している選手。
24歳で4勝6敗などというプロフィール。

考えてみれば、プロボクシングというのは例を見ないシビアなスポーツだ。
プロ人生の中で経験できる試合の数はせいぜい50試合ほどで、それよりもずっと少ない数で引退していく者はいくらでもいる。
一戦一戦の結果が永遠についてまわり、決してリセットはない。
次の試合で挽回しようとか、来シーズンがんばろうとか、長く続けているうちにいつか大物にとか、そういう希望が極めて持ちにくい。

その世界では、決して負けてはならない。
デビューのときからずっと勝ち続けなくてはならない。
むやみに試合をすればいいわけではなくて、慎重に対戦相手を選び、一戦一戦レベルを上げながら確実に勝っていかなければならない。

どんなときでも、後がない。
したがって、一勝や一敗に対しての執念は計り知れない。
その執念がリングの上でぶつかり合うのが痺れるほどに伝わって、私の胸はしめつけられた。

煌々と熱をもったライトに照らされたリング。
ストイックな肩にしたたる汗。

24歳で負け越しているような選手は、どんな想いで闘うのだろう。
この一戦に敗れたら、もう一つ負け越しが多くなるいたたまれぬ緊張感の下。
その年齢と戦歴では、たぶんもう永遠にチャンピオンにはなれないであろう、虚無感の下。

ただでさえ、ボクシングは厳しい世界だ。
体を酷使するトレーニングや、厳格に管理された食生活、体に不具合を与えかねない、あるときは命さえも晒す危険な殴り合いのスポーツだ。
チャンピオンになるか、幸運で注目を受けるか、一握りのスター選手にならなければ、収入も少なく生活は安定しない。
まして、引退してしまえば食いぶちは少ない。
普通の人なら決して足を踏み入れたくない世界だろう。

けれど、なぜそこで闘うのか。
なぜリングに立ち続けるのか。

そこに私は、自分にはこれしかないという、ひたすらな「信仰」を見る気がした。
自分を追い込んで追い込んで、我が身の存在を確かめて信じたい、一握の可能性を捨てきらない、そういうハングリーな精神が見える。

湧き起こる闘争心、胸を潰しそうな気迫。
遠のく意識の中でも身を立て直す、崩おれても何度も立ち上がる。
力の限りをふりしぼり、相手の気迫を叩きのめして、もうそいつが二度と起き上がらないように自らの魂でねじ伏せる。

名も知らぬ選手たちの試合を見ながら、私はひどく感動していた。
他のどんなスポーツでも感じられなかった種類の、切ない興奮に包まれていた。

テクニカルノックアウトでレフィリーに制止された選手が、すがるように抗議する。
彼はまだ闘いたいのだ。
闘い続けることだけが、この世界で勝つための唯一の方法だから。

勝負とは、どちらかに勝利を、どちらかに敗北を与えるものなのだと、そんな当たり前のこと。
乾いたゴングの音が、綺麗に澄み切って満席の会場に響いた。

ボクシングをテーマにした映画はいくつもある。
「ミリオンダラー・ベイビー」は、ストイックな世界に飛び込み、強く勝利に執着する女性ボクサーと、彼女を導く老齢のトレーナーの姿を描く。
トレーナーは技術を教えるばかりでなく、ボクサーがうまく世界戦までテイクオフできるよう、着実なマッチメイクで道筋を与える。
期待に応えて勝ち続けた教え子はチャンピオンへと急くが、彼はたしなめて時機を待てと言う。
彼の最大の教えは「自分を守れ」、そういうこと。
過去には、育てた選手が待ちきれずに世界戦直前で他のジムへ移籍してしまったことがあったが、彼女はただまっすぐに彼を信じた。
そうしてふたりで、そのときを迎えることになる。

亀田の試合については、お馴染みのパフォーマンスの派手さや、会場そのものの盛り上がりを楽しむことができた。
ただし彼の対戦相手は戦歴こそ多いがスピードも気迫も物足りず、あれは主役が確実に勝つように仕立てられた試合なのだと、素人の私にでも分かった。
亀田大毅が弱いという証明にはならないが、この勝利は強いことの証明にもならないだろう。
ただ、ボクシングは一戦一戦が本当に大切なのだ。
だからこそ、彼ができる限り全勝を守りながら世界戦に臨めるまで、ミリオンダラーベイビーになる日まで、その道筋を作るのはトレーナーの務めだ。
無謀に強い敵に立ち向かって負けても、なんの意味もない。

ただ残念だったのは、亀田に負けたインドネシア人の選手が、最後に膝をついたこと。
膝をつき、戦意喪失を示したこと。

30戦以上を闘ってきたそのベテラン選手の心のうち。
そこには大人の事情があるだろう。

一概に否定することもすまい。
ただ、そのことも含めて、ボクシングは切ないと思った。


ミリオンダラー・ベイビー Million Dollar Baby(2004年・米)
監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン他

■2006/6/12投稿の記事
昔のブログの記事を少しずつお引越ししていきます。

サポートをいただけるご厚意に感謝します!